【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「神から遣わされた人」  ヨハネによる福音書1章6~8節



ヨハネによる福音書1章6~8節

  1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。


序.
 1~5節では、言としての御子が三位一体なる神として初めからあり、天地万物を創造されたお方であることを確認しました。そして言としての神にこそ、真の命・永遠の命があり、私たちが思っている命・地上の生涯とは異なるのです。神の持っておられる真の命に与るためには、主がお語り下さる御言葉に聞き、闇に光をあてなければなりません。

Ⅰ.バプテスマのヨハネとは?
 6節では、神から遣わされたヨハネについて記されています。非常に唐突で、割り込んだ形です。むしろ19節に記した方が読みやすいでしょう。しかしこの部分にヨハネについて記したのには意味があったと思います。「彼は光ではなく、光について証しをするために来た」(8)。つまり彼は御子ではなかったことを記すのですが、福音書が記された当時(AD90年頃)、ヨハネが救い主であると信じている人々がいたのです。読者がここで記されている光はヨハネだと誤解しないために、早めにその誤った噂を打ち消したのです。
 また、私たちが混乱してはならないのは、福音書の著者ヨハネとの関係です。ヨハネとは「主は恵み深い」と言う意味で、当時良く用いられていた名です。そして両者は別人であります。5節で記されるヨハネは、主イエスに洗礼を授けるバプテスマ(洗礼者)のヨハネのことです。彼は主からメシアの道備えを行う者として遣わされた者です。またこの福音書で「ヨハネ」と記されれば、多くの場合、この洗礼者ヨハネのことです。
 一方、福音書記者ヨハネはそのような誤解が生じるとは思わずに、この福音書を書き始めます。と言いますのは、書簡に名が記されたのは後代です。福音書の中でヨハネは自身を語る時、ヨハネの名は記すことなく、21:24で「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である」と記し、「イエスの愛しておられた弟子」と呼ばれる最年少の弟子として記します。しかし文脈上、これは主イエスの使徒アルパヨの子ヨハネであることは知られており、後代に「ヨハネによる福音書」となったのです。

Ⅱ.道備えをする者
 ではなぜ、神の御子が来られる前に、証しをする人が備えられなければならなかったのでしょうか。天地万物を創造され、完全であられる主なる神さまに不可能なことはなく、御自身の口で真の神であることを語ることは出来ました。しかしそうなさいませんでした。
 それは私たち人間の側に、心備えを行うためであります。人は突然、「私が救い主だ。信じなさい。」と言われても、信じることがなく、疑います。そのため主は、旧約の時代からメシアが来られる時には、その前に預言者を遣わすことを約束されていたのです(マラキ3:23)。そしてこのヨハネこそが、旧約聖書で預言されていた預言者エリヤです。
 このように、主は御自身の大いなる御業を成し遂げるために、人間を遣わし、お用いになります。それは福音宣教も同じです。主は、キリストの十字架の死と復活の後、使徒たちに宣教を委ねられました。今も、福音宣教は牧師とキリスト者に委ねています。
 牧師である私自身、弱い人間であり、人を傷つけ、躓きの石であると感じています。そして主の御前には、行い・言葉・心において罪人であす。しかし、主は、こうした欠けのある人間を用いて、福音宣教を委ねておられるのです。それは主が、私たち人間を大切に思い、愛していて下さっているからです。もし主なる神さまが直接語られ、直接私たちの心に聖霊を通して働きかけ、私たちの心を変えるのであれば、私たちは、神のロボットのような存在になってしまいます。むしろ神は、人間同士の交わりにより、罪も弱さもあるが、その中に主の真理と愛が示され、救いによる真の光・命に与ることが信じることが出来るようになるように、私たちに福音宣教を委ねられているのです。

Ⅲ.証しをすること
 ところで、ヨハネは証しするために来ます。証しとは、本来は裁判において証言をすることです。旧約の時代から非常に重要な意味を持っていました。偽証をすることにより、その人の人生を左右させることもあるからです。
 しかし、いざ私たちの生活を見回しますと、偽証に満ちています。人によって語る言葉を変え、朝語ったことと夕べに語ることが変わることもあります。駆け引きのために言葉が用いられ、真意を伝えないこともあります。バレなければ嘘をついても構わない、という風潮です。権力者しかり、この国全体がそういった雰囲気が漂っています。
 ヨハネは、イエス・キリストを証しするために来ました。証しとは真実を伝えることです。自分の思い、考えによって変えてよいものではありません。ヨハネはまさしく、主なる神さまによって示されたとおり、救い主キリストが来られたことを、人々に、そして私たちに証しするために来たのであり、事実、彼はその働きを全ういたしました。
 万人預言者といわれますが、すでにキリストによる救いを受け入れた者は、キリストを証しするために立てられ、日々の生活により、また直接語ることにより、キリストを証しすることが求められています。キリストを証しするために真実を伝えなければなりません。そのために純粋な福音理解が求められます。また御言葉の真実を伝える時、それは同時に私たち自身が真実に生きることが求められるのです。私たち自身が真実に生きる時に、真実である主を証しする力が備えられるのです。



                                              (2009.1.18)


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