【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「人の心の中を知る神」  ヨハネによる福音書2章23~25節



ヨハネによる福音書2章23~25節

  2:23 イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。2:24 しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、2:25 人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。



Ⅰ.偽りの信仰
 私たちは、主イエス・キリストを救い主と信じて、また救い主として信じるために、教会に集められています。しかし、「信じる」とはどういうことなのか? 広辞苑で「信じる」を調べると「まことと思う。正しいとして疑わない。・・」と記されています。私たちが通常、神さまを信じると語る時、それは私たち自身の行為として考えるのです。神さまを信じるのも、信じない、否定するのも、私たち自身の心次第だと思うのです。
 しかし同時に、信仰は神による救いです。つまり、私たちが神さまを信じたと語れば、一方的に救いが完成するものではなく、救い主である神さまと救いに与る私たちとの関係、契約を考えなければなりません。つまり、私たちが「神さまを信じた」と告白する時、私たちはどのような信仰にあり、神さまを誰と考えているのか、信じた神さまに対して私たちのあるべき姿はどのようなものであるのか、が問われてくるのです。
 つまり私たちが「神さまを信じた」と告白しつつ、私たちの側だけが神さまに救いや幸福、試練からの脱却と言ったことを要求していてはいけないのです。苦しみが与えられ、祈ったけれども、神さまは聞き入れて下さらなかったことで、この神さまはダメだということは言えないのです。私たちは、試練が与えられた時、なぜ主なる神さまが、この様な試練をお与えくださったのか、考えることを求めておられるのです。主なる神さまによる救いに入れられているならば、耐えられないような試練を私たちにお与えになることはなく、そこには私たちが信仰の成長を遂げるための意図が込められているのです。
 主イエスはそうした一時的・感情的な信仰の告白は、真実の信仰ではないと語られます(23~24)。人々は主イエスの奇跡を見て、信じたつもりだったのです。しかし彼らの心は、一時的な思いでしかなく、それが真の信仰ではないことを主イエスは読み取ります。こうした偽りの信仰があることを信仰告白も語ります(ウェストミンスター信仰告白18:1)。

Ⅱ.私たちの信仰
 では、真の信仰者とはどのような者であるのでしょうか。私たちはどのような神さまを信じているかと言うことを考えなければなりません。主なる神さまは、天地万物を創造され、今もすべてを統治しておられます。つまり自然を超えて働く奇跡・癒し・超自然現象すらも、主なる神さまは行うことが出来るお方です。そして主なる神さまは聖霊をとおして、今も私たちと共にいて下さいます。ですから、「神さまを信じた」と告白する時、それは自分の方で救いを獲得したのではなく、主なる神さまが一方的に捉えて下さり、「私を救いに導いて下さった」のです。つまり、私たちは「神さまを信じる」ことを考える時、私たちの個人的な感情に頼ってしまうのですが、しかし主なる神さまの方では、天地万物を創造される前からある永遠の御計画の中に私たちの救いがあるのであり、一人が、神さまを信じて、神の子となることは、神の御計画の中での大いなる御業なのです。
 そして、主の大いなる御計画に入れられている私たちのことを、神さまはすべてご存じです。私たちの行い、言葉、そして心の中まで、神さまの御前に隠すことは出来ません。私たちの弱さ、罪深さ、汚れ、嘘、表面的な取り繕い、そうしたものも、神さまの御前には明らかになっています。神さまはこうしたことをすべてご存じの上で、「あなたを救う」と宣言して下さるのです(ウェストミンスター信仰告白18:1後半・2節)。

Ⅲ.救われた者の信仰生活
 そうなれば、私たちの信仰生活もまた、神さまの大いなる救いの御業の中に生きることになるのです。「今日は時間があるから、礼拝に行こう」となるでしょうか? 私たちを罪の赦しを与え、私たちに永遠の救いをお与えくださっているのは、主なる神さまです。そのお方が、私たちを礼拝に招いて下さっているのです。私たちは弱く、罪深い者だからこそ、すぐに神さまの愛、神さまの救いの恵みを忘れてしまうのです。しかし、主が私たちを礼拝に招いて下さることにより、私たちの信仰は保たれるのです。
 そして救いに導いて下さる神さまは、御言葉により私たちを養い、私たちの信仰を豊かにして下さいます。だからこそ、私たちは、礼拝中心、御言葉中心の生活へと変えられていくのです。私が神さまの救いを獲得したのではなく、神さまが私を愛し、救って下さったのです。感謝と喜びをもって、主に仕えていきましょう。

                                              (2009.3.29)


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