【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「信じる者は救われる」  ヨハネによる福音書3章9~15節



ヨハネによる福音書3章9~15節

  3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。3:13 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。3:14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。3:15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。



序.
 今日、私たちはイースターをお祝いするために、主の御前に集められています。しかし、神さまを信じることが出来ない人たちからすれば、「キリストが復活されたことを、未だに信じているの?」と思われています。

Ⅰ.神の霊
 ファリサイ派に属するニコデモは、主イエスに教えを求めるために、夜中、主イエスの所に来ました。しかしニコデモは、主イエスの「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない」との言葉に躓きます。彼は神の国、つまり救いを求めながらも、自分で救いを獲得する道を探っていたからです。つまり神さまによる救いを求めながらも、自分の力で生きようとしていたのです。
 そこで主イエスは、風を用いて説明されます。「風は思いのままに吹く」。今でこそ、気象学の発展により、風向きや風速を予測することもでき、理論的に風を説明することが出来ます。しかし、私たちが普通に外を歩いている時に、この風はどこでどのようなメカニズムで発生した風であるとは分析しないのです。春の気持ちいい風だ。冬ならば、冷たいきつい伊吹卸だ、と思うのです。つまり、私たちは四季折々に季節を楽しむのと同時に、風が存在し、私たちの生活と共にあることを実感しているのです。御霊の働きも同じです。風を手でさわったりすることが出来ないように、神の霊も見たりさわったり出来ません。しかし風が存在するように、神の霊も存在し、私たちに救いをもたらすために働いておられるのです。このことはギリシャ語で聖書を読めばはっきりいたします。ギリシャ語で、「風」と「霊」は同じ言葉です。目には見えないけれども、確実に存在するのです。
 そして主イエスは霊によって人が新しく生まれることが出来るのだ、と語られます。それが神の救いに生きることです。風がどこから吹いてどこへ去って行くか分からないように、霊もどこから来るか分かりません。しかし、事実として神の霊は我々に臨むのです。そして、私たちの心を入れ替え、新たにして、自らの行いに生きることから、主の恵みに生かされる者へと変えられていくのです。
 ニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」(9)と語ります。これは、人間世界において理解できない事柄は、起こりえないのだと思いこんでいるからです。私たちが今、主を礼拝する場に集っていることは、家族や知人の誘いと言った外的な働きかけもあるでしょうが、それと同時に、聖霊の働きがここに存在することの証しであります。

Ⅱ.希望に生きる
 主イエスは語られます(3:10~13)。これは、私たちが信じている、あるいはこれから信じようとしている神さまがどのようなお方であり、私たちに何をお与え下さるお方であるかを理解することにより、理解することが出来る事です。何よりも私たちは神さまを信じるのであり、私たちの知識を超えて働く力を持っておられることを受け入れなければなりません。つまり、私たちの知的理解を超えて働くことはあり得ないのであり、そうした奇跡的な事柄は信じるに値しないものとする考えを退けることです。
 ニコデモは、主イエスのメシア性を信じて、主イエスの所に来たのですが、しかしなおも、自分の知識を超えてお働きになる主の御業を受け入れることは出来なかったのです。私たちを救いに導く主なる神さまを、私たちの頭の中に閉じ込めておいてはいけません。主なる神さまを、私たちの知的理解において受け入れる範囲で、信じるのではありません。私たちの知的理解を超えてお働きになる神さまを、私たちは受け入れなければなりません。
 そして、私たちの知的理解を超えてお働きになる神さまが、私たちを支配し、そして私たちを死から救い出し、永遠の生命へと導いて下さろうとしているのです。私たちは、このようにして主から差し出された救いの恵みを受け入れればよいのです。
 今日は、イースターです。十字架の死を遂げられ、墓に葬られた者が復活されたことは、私たちの知的理解を遙かに超えた出来事です。人間的には受け入れることが出来ません。しかし私たちは、天から降ってこられた神の御子によって、成し遂げられた出来事だからこそ、私たちは信仰により、信じることが出来るのです。そして、キリストの復活を信じることが出来るならば、キリストによって成し遂げられる神を信じる者すべての復活も信じることが出来るのです。知的に考えていては理解できません。私たちの知性を超えて働かれる主なる神さまが復活を遂げて下さったのであり、その主なる神さまが、私たちを愛し、私たちを救って下さるために、私たちにも、復活を与え下さいます。それは、キリストが再臨される時まで待たなければなりません。しかし、イエス・キリストが、真の主、真の神だからこそ、私たちは、主を信じる私たちにも、復活が与えられ、主の祝福に満ちた永遠の命が与えられる希望に生きることが出来るのです。

                                              (2009.4.12)


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