【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「羊と羊飼い」  ヨハネによる福音書10章1~6節



ヨハネによる福音書10章1~6節

  1 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。2 門から入る者が羊飼いである。3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。5 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」6 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。


序.
 盲人であった男を主イエスは癒して下さり、目を見えるようにしてくださいました。主イエスは同様に私たちの心の目をも開け、神による救いを求めるように働きかけて下さるお方であることを、9章において私たちは確認してきました。ユダヤ人であるファリサイ人たちは、自分たちは目が見えている、神の救いにあると主張していました(9:40)。しかし主イエスは10章に入り、羊と羊飼いの譬え話しを始めることにより、ファリサイ人たちの現実の姿を明らかにされます。つまり、10章は9章と別のことが語り始められたように思いますが、継続性があり、私たちは前後の関係を考えつつ読み進めなければなりません。

Ⅰ.「はっきり言っておく」
 冒頭、主イエスは重要な時に語る常套句「はっきり言っておく」と語ります。「アーメン、アーメン、あなた方に告げる」と直訳出来ます。つまり主イエスは、ファリサイ人たちに真理を語ろうとされているのです。主イエスが語られる真理とは何か?「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である」ことです。詩編23編が代表するように、旧約聖書の時代から主なる神さまと選びの民であるイスラエルとの関係を羊と羊飼いの関係で語られてきました。羊飼いである主なる神さまと、羊であるイスラエルの民です。そして、ファリサイ人たちは、「自分の目は見えている」と語り、自分たちは「まさしく羊飼いに飼われている羊である」と言い張るのです。
 しかし主イエスは、そのファリサイ人に対して、あなたたちは「盗人であり、強盗である」と語ります。自分は救われたいと願っているにも関わらず、主なる神さまである主イエスがそれを拒まれる、それはどういうことなのでしょうか?

Ⅱ.天国の門、羊と羊飼い
 ここで羊の囲いの中とは、天国のことです。そして家に玄関があるように、天国にもそこに入るための門が設けられているのです。つまり一概に救われたいと願っても、何によって、どのように救われたいのかが問われるのです。
 そうした状況の中、主イエスは門から入る者が羊飼いであると語られます。つまり天国にはいるためには門を通るのですが、羊飼いによって導かれなければ、天国に入ることは出来ないのです。つまり完全予約制です。そして、天国にエステートして下さる方こそ、イエスさまであると、聖書は語っているのです。主イエスは、神の御子として、天から降られ、遜り、人としてお生まれ下さった方です。そのお方が、天国へ帰られるのです。まさに、主イエスこそが門から入る羊飼いであられることを語っています。つまり、救われたい、天国に入りたいと願うのであれば、天国に導いて下さる主イエス・キリストの所に来なければなりません。そして天国に行く会員となる予約をしなければならないのです。
 主イエスは3つのことを語られます(3)。第一に、門番である父なる神さまが羊飼いである御子イエス・キリストでなければ、門を開くことはなさらないことです。つまり救いに与り、天国に行こうとするならば、イエス・キリストと共にでなければ行くことは出来ないのです。主イエス・キリストは私たちの仲保者として、永遠の生命に与る天国と私たちとを結ぶ唯一のお方であるのです。
 第二に、羊はその声を聞き分けるとことです。羊とは、主イエスを信じ、キリストの御言葉に耳を傾けるキリスト者のことです。信仰とは、主なる神さまから与えられた恵みの応答であり、主なる神さまの主権の下、聖霊と御言葉の働きによって私たちに示されるのです。だからこそ信じる者は、神さまの羊として、羊の囲いである天国に入る許可を受けているのです。しかしファリサイ人たちは、この羊飼いである主イエスの御言葉に耳を傾けなかったのです。つまり、彼らは天国という羊の囲いに入る正規のルートを通ることを拒絶したのであり、密入国者として主なる神さまによって捕らえられ、処罰されるのです。
 第三に、羊飼いである主イエスは羊であるキリスト者の名を呼んで下さり、天国へ連れて行って下さいます。ここで「名前を呼ぶ」とは知っておられることです。羊飼いが自分の飼っている羊のすべてを知っており、名前を付けて、一匹残らず連れ戻して下さるように、主イエスも、キリスト者をひとり残らず知っておられ、神の国に導いて下さるのです。
 従って神さまが予定において救いに入れて下さる神の民が、たとえひとりでもいなければ、探して下さるのです(参照:ルカ15:1~7)。

Ⅲ.偽キリストの排除
 天国に導いて下さるのは主イエスただおひとりでです。上に立てられているローマ皇帝や社長は、いつまでもその地位にいることは出来ません。時期が来れば、あるいは肉体的な死を迎えることにより、交代していかなければなりません。しかし主イエス・キリストは唯一の仲保者です。主イエスは十字架と復活の後、天国に上って行かれました。そこで今なお全てを支配しておられるのであり、御霊と聖書を通して、私たちに働きかけて下さるのです。従って「私がキリストの甦りだ」、「私がキリストの後継者だ」と語る者は、偽キリスト、偽預言者であって、彼らは羊の囲いである天国に属することは出来ないのです。
 今日、8月15日は、65年前に戦争が終わった敗戦記念日です。私たちはこの時、平和を考えるだけではなく、当時の日本の教会は、羊飼いとしての主イエスの他に神社・天皇をその地位に置いてしまったのです。当時の教会は、迫害の中、苦悩があったかと思いますが、主イエスが私たちに示して下さっている御言葉から離れてしまったのです。
 羊である私たちは、羊飼いである大牧者イエス・キリストの声に耳を傾けるだけではなく、他の者には決してついて行ってはならないのです。逃げなければなりません。そこに危険・誘惑があり、私たちの信仰を歪めるからです。
 だからこそ、私たちは主イエス・キリスト以外に救い主はなく、主イエス・キリストがお語りになる聖書の言葉以外に、救いに導く声はないことを覚えなければなりません。


                                         (2010.8.15)


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