【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「主イエスの叫び」  ヨハネによる福音書12章44~50節



ヨハネによる福音書12章44~50節

  44 イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。45 わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。46 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。48 わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。49 なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。50 父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」



Ⅰ.主イエスの叫び
 主イエスは、叫ばれます。ヨハネ福音書で主イエスが叫ばれるのは、ここの他に出て来るのは7:28,37のみです。そして、主イエスの叫びに対して、それを聞いた人々、そして私たちは何らかの答えが求められるのです(7:40-41)。つまり主イエスが叫ばれたのには、特別な意味があり、周囲にいた人たちは、主イエスの声を聞き逃すのではなく、聞くことが求められるのです。聞いて理解すること、行動することが求められるのです。情報が多い時代、多くの言葉を聞き流しつつ、正しい判断が求められます。しかし主イエスの叫びは、すべての行動を止めて、聞かなければならない言葉なのです。
 大地震が発生し、大津波が押し寄せてくる時、「すぐに逃げろ」との叫びに、逃げられなかった人も多かったことでしょう。本当に心痛むことが起こったのです。主イエスの叫びは、まさに私たちの命に関することが語られています。私たちは、主イエスの言葉を聞き逃していけません。主イエスの言葉を聞いて、応答することが求められるのです。

Ⅱ.キリストによる救い
 主イエスは叫ばれます(44)。すでに主イエスが繰り返し語って来られたことです。主イエスが繰り返して語られる声に対して、ユダヤ人たちは聞き入れることはしませんでした。主イエスは、旧約の預言者イザヤの預言が実現し、彼らの心が頑ななため、彼らは信じることはなかったと宣言されました(36-43)。その直後、主イエスは叫ばれたのです。つまりここで語られていることは、私たちに対しての最終的なメッセージです。
 ユダヤ人は、旧約聖書に記された主なる神さまを信じ、メシアを待ち続けると語りますが、どの様にすれば主から遣わされた方が預言者を確認することが出来るのか。旧約の預言者たちは人々から拒絶されました。申命記18:18-20の御言葉に聞かなければなりません。確かに、偽預言者・偽メシアが現れます。今の時代も同様です。しかしすべてが偽メシアではありません。真実のメシアを私たちは見分けなければなりません。考える前から「そのようなことはあり得ない」とはねつけることは出来ません。主イエスを目の前にしていたユダヤ人であれば、旧約聖書から確認し、語られた言葉が主からの言葉であるか、確認することが求められたのです。そして、主イエスの再臨を待ちわびる私たちも、旧・新約聖書を読み、救済史的に神の契約を顧みつつ、真偽を判断することが求められるのです。
 主はなぜ、預言者やキリストを通して御自身を示されたのか? 旧約のイスラエルの民はメシアを求めていました。しかしここには神との人格的な交わりがありません。そうであるならば、神の存在が抽象的で概念的な存在になってしまい、信仰もまた内的・個人的・抽象的なものとなってしまいます。父なる神さまが遣わされたキリストと出会うことは、私たちがキリストにより生きて働く主なる神さまと人格的な交わりを持つことです。今、日本全体が闇の中に置かれてしまったような状況の中、キリストは叫んでおられます。私たちは、死に行く闇の中にあることに気がつかなければならないのです。今、震災という大きな災害をとおして、私たちに悔い改めと主に従う信仰を求めなければなりません。

Ⅲ.永遠の生命を得る
 そしてキリストは、信じることと併せて見ることも求めます。キリストの御業を視覚的に確認するのです。もちろん私たちは直接的にはキリストの御業に立ち会うことは出来ません。しかし御言葉である聖書をとおして、キリストの御業に出会い、キリストの御業を見ることが出来るのです。百聞は一見にしかずです。それは知ることです。御言葉をとおしてキリストの御業を知り、受け入れるのです。私たちが生きることと、キリストの御業は密接に関係しているのです。
 神の御子であるキリストが私たちを救い、闇から光に導くために、十字架の上で苦み、死を遂げられました。神の御子が人となられたのは、まさに私たちを闇の中から救い出すためでした。本当ならば私たちが背負わなければならない十字架です。キリストの叫びを聞き、キリストの十字架の苦しみを見て、知る時、私たちは決断が求められます。キリストは闇から光に、死から救いに導くために、叫ばれ、十字架にお架かり下さったのです。今、世の裁きは猶予されています。今が悔い改めの時です。
 御子をとおして示された御父は、私たちを闇から光へ導いて下さいます。光とは永遠の命です。主は私たちの命を今取り去ることも出来るお方です。今、主イエスは叫ばれます。主イエスの叫びを聞き、救いと永遠の生命を求め、神さまを信じなければなりません。


                                         (2011.3.20)


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