【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「心を騒がせるな」  ヨハネによる福音書14章1~4節



ヨハネによる福音書14章1~4節

  1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」



Ⅰ.心を騒がせる
 主イエスは御自身の十字架を前にして心を騒がせておられました(12:27)。また裏切り滅び行くイスカリオテのユダに心を騒がせておられました(13:21)。そうした状況の中、主イエスは弟子たちに「心を騒がせるな」とお語りになります。両者にどこに違いがあり、主イエスは何を語ろうとされているのでしょうか?
 弟子たちが心を騒がせることとなったのは、ユダが裏切るために出て行き、さらに主イエスがいなくなることが知らされたからです。更にこの後、主イエスは逮捕され、裁判にかけられ、十字架に架けられていくのです。
 では私たちが心を騒がせる時はいつでしょうか? 3.11以降がそうですが、危機・試練を迎える時、不安がよぎる時、さらに死の恐れが生じた時ではないでしょうか。
 私たちは危機管理することが求められています。危機管理をしっかりすることにより、心を騒がせる状態は少なくなるのです。危機管理を考える時、起こりうる危険を想像して対策・準備が求められます。しかし本当の危機管理は、起こりそうもない危険が発生しても臨機応変に対処する術を身に着けておくことです。畑村洋太郎は、「失敗学のすすめ」で語ります。小さな失敗が積み重なって大きな失敗につながります。失敗をした時、その場を取り繕うだけであれば無意味です。失敗する毎に、失敗の原因を確認し、そして同じ失敗を繰り返さないようにすることにより、失敗が少なくなってくるのです。
 さて信仰生活の中で訪れる危機は迫害であり、家族や周囲の人々からの反対です。弟子は迫害の時期を迎えます。3日に大阪府は君が代条例を可決しました。府内の公立小中高校などの学校行事で君が代を斉唱する際、「教職員は起立により斉唱を行うものとする」とし、府立学校など府の施設での日の丸の掲揚も義務化するものです。 東京も然りです。震災が隠れ蓑となっていますがナショナリズムという信仰危機は迫っています。主イエスが「心を騒がせるな」とお語りになったのは、まさにこうしたキリスト者に訪れる信仰の危機、迫害に対して、備えをしておくようにとのことです。神の国が完成しない限り、主なる神さまに反抗し、キリスト者への反対・迫害はいるのです。そしてキリスト者はどの様な状況の中にあっても信仰を貫き証しすることが求められているのです。

Ⅱ.危機に対する準備
 では、私たちはどの様にして、信仰の危機に対処し、準備すればよいのか? 主イエスはお語りになります。「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」。主なる神さま、御子イエス・キリスト、聖霊なる神さまを三にして一つなる真の唯一の主なる神さまとして、信じ続けることです。主イエスは信じること以外、何もお語りになりません。
 「信じる」ことは、同時に疑わないことです。マタイ14:22~33で、主イエスは湖上を歩いて来られます。ペトロも湖上を歩けるように主イエスに頼み、湖上を歩きますが、疑ったのです。だから溺れそうになったのです。私たちに求められていることは、疑わずに信じること、信じて祈り続けることです。主の御力、主の御支配を信じることです。
 またエフェソ6:10~18には神の武具を身に着けるように語られています。つまり自分で解決しようとしないことです。主に委ね、主によって与えられる御言葉に従い、主の養いを受け続けることが、私たちがどの様な時にも心を騒がせないための準備となるのです。
 だからこそ、マルコ13:11で主イエスは「引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ」とお語りになるのです。

Ⅲ.神の御国の喜びに生きるキリスト者
 では私たちは何をもって、父・子・御霊なる神が唯一の真の主なる神であると信じることができるのか? また心を騒がせる状況の中、どの様にすれば信仰を貫くことができるのでしょうか? 主イエスは、弟子たちから離れて行かれます。しかし天にあって、主を信じる私たちの場所、つまり永遠の住処を準備して下さるのです。
 地上にあって、私たちはここが永遠の住処だと思いで立派な家を建てたとしても、一瞬に取り去られるのです。私たちは今回の震災においてこのことが知ったのです。そして今なお、多くの人々が苦しんでいます。彼らに起こったことは、私たちに起こってもおかしくなかったことです。主は恵みによって、私たちを憐れんで下さっただけです。しかし、主イエスが天に上られ、準備して下さっている私たちの住処は、永遠に取り去られることはありません。主の恵みと祝福に満たされた場所です。私たちはこの後、聖餐式に与りますが、聖餐式は、天における神の国の祝宴の前味です。主は天国において永遠の喜びと祝福を約束して下さっているのであり、聖餐式はその前味なのです。天国における祝福を、誰も邪魔することは出来ません。だからこそ私たちは、地上にあって心を騒がせる出来事があり、信仰を揺さぶらせることがあっても、心を騒がせることなく、主に委ね、主を信じて、主の御言葉に聞き従った歩みを続けて行くことが出来るのです。

                                     (2011.6.5)

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