【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「神はあなたを愛しておられる」  ヨハネによる福音書14章21~24節



ヨハネによる福音書14章21~24節

  21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。



序.
 パウロは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒16:31)と語ります。しかしこの時、私たちは救われるとはどういうことか、しっかりと理解しておくことが求められます。

Ⅰ.「世」の人は?
 主イエスを愛し、主イエスを信じる者は、主イエスに愛され、父なる神さまに愛され、神の救いにあります(14:15,21)。
 しかしここでイスカリオテでないほうのユダが質問します(22)。彼は、主イエスの十二使徒の一人、ヤコブの子ユダ(ルカ6:16)、タダイ(マルコ3:18)と呼ばれています。しかし彼がどのような人物であったか聖書は語りません。詮索しても無駄です。むしろ、彼は当時のユダヤ人が持っていた信仰に基づいて質問したと考えて良いかと思います。
 ユダヤ人たちは、救い主であるメシアが現れた時、神の民とされたイスラエル(ユダヤ人)は皆救われると思っていたのです。そして主イエスの弟子たちは、主イエスこそがメシアであると信じていたのです。しかし、彼は主イエスの語られる言葉から、ユダヤ人であれば皆が救われるのではないことに気がついたのではないでしょうか。
 これは、神さまを知らない人が、「神さまはなぜ信じる人だけを救い、そうでない人は滅ぼすのか」、「神は愛ではないか」との問いかけ同じではないでしょうか。

Ⅱ.一緒に住む神
 主イエスは答えます(23~24)。 つまり主イエスを信じ、主なる神さまによる救いに入れられることにより、「父と主イエスと共に住む」ことであり(参照:14:1-3)、神の御国、天国に入ることが出来ることを語っています。神さまは、無限・不変・永遠の霊です。つまり私たちが主イエスを愛し信じることは、主の無限性・主の不変性・主の永遠性に繋がるということとなります。私たち人間は、空間的・可変的・時間的に存在しているのであり、神による救いに与ることは、根本的に生き方が変更するのです。価値観が変化するのです。目に見えるもの、地上の栄えを追い求めていても、神の導いて下さる神の御国においては無価値になるからです(参照:金持ちの青年(マタイ19:16-22)、愚かな金持ち(ルカ12:13-21))。そして主イエスは、「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることは出来ない」(マタイ6:24)とお語りになります。
 つまり、主イエスを愛し信じる者は、神の御国の価値に従って生きようとするのです。すると世の楽しみに目を向けるのではなく、神の恵みを追い求め、主のお語りになる御言葉に耳を傾け、主を礼拝するものへとされるのです。
 一方、主イエスの御言葉に聞こうとはしない者は、神の永遠の祝福を拒絶し、主の祝福に価値を置くことは出来ず、この世の基準、富・権威・地位に価値を置くのです。だからこそ、神の御言葉に聞き従わない者は、当然、神と共に住まうこともないのです。
 神さまは、常にあなたを救おうと願っておられ、主イエス・キリストの十字架の御業を受け入れ、主イエスを信じることによって、救いに導いて下さろうとしているのです。しかし、主イエスを信じることが出来ず、主イエスの御言葉に聞き従うことが出来ない人は、自らの行いにおいて、主の示しれる救いから離れて行き、自ら滅びの道を歩むのです。

Ⅲ.あなたは本当に神を愛していますか?
 では、あなたは主イエスを愛し、信じていますか? 私たちは一週間の間、神さまを知らない多くの人たちに囲まれ、社会生活を送っています。否が応でも、「世」の価値観の中に置かれ、引き込まれるのです。もちろん、神さまがお与え下さった一般恩恵を、神さまに感謝しつつ用いていくことは出来ます。しかし道具を適切に用いていくことと、道具に支配されることとは、異なります。
 神の御言葉(旧新約66巻の聖書)は変化がありません。しかし、私たちの心は毎日変化するのです。「世」の価値観に引きずられるのです。だからこそ私たちは、真の価値観・希望・喜びを、繰り返し確認するのです。第一に公的礼拝により、御言葉の説教・聖礼典・祈祷・聖徒の交わりを通してです。第二に、毎日の家庭礼拝・個人礼拝によってです。
 大垣教会では今日と明日、修養会を持ちます。「支え合う教会を目指して」を学びます。神に愛され、救いに入れられた者として、神を愛し礼拝し、隣人をも愛するのです。このことを執事活動・ディアコニアから、学びます。
                                     (2011.7.17)

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