【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「主イエスを証しする」  ヨハネによる福音書15章26~27節



ヨハネによる福音書15章26~27節

  26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。 27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。



序.万人預言者
 キリスト者である以上、伝道することが求められます。誰が伝道するのか? キリスト者すべて、つまり皆さまです。牧師・教職者が行えばよいものではありません。プロテスタント教会では、万人預言者という言葉があります。御言葉である聖書を読み、解き証しをすることは、万人(すべての人たち)に与えられている恵みであり特権です。
 だからこそ私たちは、毎日、主がお語りになる御言葉である聖書と挌闘し、神さまから下記の言葉を確認しなければなりません。①神は何を命じておられるのか。②神が私たちにお与え下さった約束は何か。③神に対して何を求めて祈るべきか。④私たちの避けるべき罪は何か。⑤私たちが従うべき模範は何か。

Ⅰ.伝道を行え!
 「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(テモテ二4:2)と語られます。しかし、伝道することが目的化し、「伝道しなければ救われない」と言った伝道が律法化することは避けなければなりません。
 ではなぜ私たちは伝道に携わることが求められ、また何を宣べ伝えるのでしょうか。もちろん救い主である主イエスの命令があるからです(ヨハネ15:27、マタイ28:19-20)。
 一方、福音を伝える時、人々は耳を貸さず、信仰の戦いが生ずることも主イエスは忠告して下さいました(ヨハネ15:18-25)。つまり、福音を伝えることを恐れたならば、信仰は個人化してしまい、信仰は内に籠もってしまいます。

Ⅱ.伝道の原動力
 ではどうすれば、キリスト者は主の命令に従った伝道を行うことが出来るでしょうか?伝道を行う原動力は、あなたがキリストであるぶどうの木に繋がれたぶどうの実である事実です。つまりあなたは、キリストの歩まれた十字架の贖いにより罪が赦され義とされ、神の子とされ、聖とされているのです。その結果あなたは、世に属する闇ではなく、永遠の命である光の内に歩む者とされたのです。これは主から与えられた恵みであり祝福です。
 それと同時に、今、あなたは一人ではありません。キリストは十字架の死と復活の後、天に昇り父なる神の右に座しておられます。しかし、キリストは父なる神の御許から弁護者として聖霊をお送り下さいました。弁護士とは、裁判で被告人に代わって無実を立証する働き手です。そして弁護士はには資格が必要です。弁護者である聖霊は、第一に私たちの罪を贖い、私たちを救って下さった御子御自身がお遣わし下さいます。私たちは御子の御業に感謝するように、御子が遣わす弁護者に、すべてを委ねることが出来るのです。第二に、聖霊は父なる神のもとから来るのです。このことは、神の子とされた私たちが、どの様な時にも父なる神さまの守り、弁護があることを物語っています。
 伝道を行い主を証しすることがあなたに任せられていると語れば、重圧がかかります。しかし父・子・御霊なる三位一体の神を私たちは信じており、その第三位格である聖霊が私たちと共にいて下さるのです。あなたは一人ではありません。肩の荷を降ろすことが出来る慰めがここにあります。
 さらに主イエスは、この聖霊が「真理の霊」であると語られます(26)。つまり霊もどき、偽りの霊が多くあるのです(参照:Ⅰヨハネ4:1~6)。真理の霊と惑わす霊を見分ける基準は、キリストによって遣わされた霊であるかどうか、御父のもとから遣わされた霊であるか、つまり三位一体の神の御霊であるかどうかによるのです。だからこそ、私たちは真理の霊である聖霊が共におられ、聖霊が私たちが語るために必要な言葉をお与え下さることを信じて、宣べ伝えることが求められているのです。

Ⅲ.伝道する時の注意点
 私たちがキリストの福音を宣べ伝える時の注意しなければならないことがかります。つまり、私たちは伝道し、福音を宣べ伝えていれば良いのではありません。この時、人々は、語られる福音を聞くと同時に、福音を語るあなた自身を見るのです。人格が問われます。つまり福音を語ろうとする時、福音に生きている生活、福音に生きる喜びが伴っているかが問われます。つまり生活において福音を着飾っているかが問われてくるのです。
 私たちの救い主である神は、最後の審判において、私たちに罪の赦しを宣言し、神の御国に入れて下さいます(参照:Ⅰテモテ4:1)。救い主である神が、インマヌエル「神、我らと共にありたもう」のです。私たちは、飲むにも食べるにも何をするにも神の栄光のために行うのであり、私たちは一時も神の御前から離れることはないのです。今、主の礼拝に臨んでいる時はもちろん、礼拝から帰って家庭にあっても、それぞれの働きの場・学びの場に遣わされても、主は常にあなたの御前にあり、共におられるのです。
 常に主の御前にあるのであれば、行いと言葉と心のすべてを御覧になる主なる神さまは、常にあなたの罪を指摘され続けるのです。それでもなお主はあなたの罪は、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪が赦され、救われていることを宣言して下さっています。ここに悔い改めと救いの感謝が湧き出て、主の御前と人々の前にあって謙虚と遜りが生じて来ます。これが主の御前にあって、主を愛し、主を礼拝するものとされ、隣人を愛し仕える者としてキリストに倣う生活によって、キリストを証しする伝道の原点となるのです。
 だからこそ、キリストを証し宣べ伝え、また信仰の継承を行う時、何よりもあなた自身が信仰の喜びにより、御言葉の養いにありつつ、救いの喜びを持って信仰生活を送り続けることが求められるのです。

                                     (2011.8.28)

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