【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「世に来られる弁護者」  ヨハネによる福音書16章4~11節



ヨハネによる福音書16章4~11節

 :4 「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。5 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。6 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。:9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、:11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。



Ⅰ.真実に語る
 ユダヤ人たちは、旧約聖書において約束されていたメシアが到来すると、ローマからイスラエルが解放され、そして神の国が完成することを信じていました。そして、主イエスの弟子たちは、目の前にいる主イエスこそが約束のメシアであるとの確信を持っていたのです。それがペトロの言葉に込められています(ルカ22:33)。
 しかし最後の晩餐で、主イエスが弟子たちから離れていくこと、弟子たちに迫害が起こることが語られることにより、弟子たちは動揺します(6)。
 主イエスは既に、主イエス御自身がいなくなり、迫害が発生したとしても、あなたがたは守られることを約束し、希望をもって歩むように語ってきました。ここで主イエスは「実を言うと」と語ります。「実」とは「真理・真実」のことです。人を騙そうとする人たちは、「確実に儲かる」と語ることでしょう。「真実」という言葉は、嘘として語ることも出来ます。しかし、私たちに「真実だ」とお語り下さっているお方は、神の御子であるイエス・キリストです。人と違って神は、まったく真実な方ですから、罪を犯すこと・嘘をつくことが出来ません。ですから、このお方が「真実だ」と語られる時、「嘘だ」と思ってしまう心を打ち消し、主イエスの語られる言葉を真理として耳を傾けなければなりません。

Ⅱ.主イエスが去って行かれることの恵み
 ではなぜ、主イエスが弟子たちの前から去って行くことが、弟子たちのためになるのか?
第一に主イエス御自身が去って行かれることによって与えられる恵みがあります。主イエスが逮捕され、十字架に架けられることにより、私たちの罪が償われ、私たちは救われたのです。そして、私たちが担わなければならなかった罪の刑罰としての死が、取り除かれるのです。イエス・キリストを神として受け入れ、告白すれば良いのです。そして主イエス・キリストは、十字架の死から三日目の朝に甦って下さいました。主イエスの復活は、キリスト者に、肉の死を遂げても復活の体が与えられる希望の約束を与えます。
 また、主イエスは復活の後、天に昇って行かれました。主イエスは「あなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」(14:3)とお語り下さいました。主イエスが弟子たちの前から去って行かれることにより、キリスト者は、信仰により永遠の生命が約束され、神の国において、恵みと喜びをもって主を讃美しつつ生きることが出来る場所が約束されるのです。だからこそ主イエスが弟子たちから離れること、言い換えれば、今、私たちが直接主イエス・キリストを目でもって見ることが出来ないことは、私たちが救いの恵みに入れられている証拠であるのです。

Ⅲ.弁護者・聖霊が与えられることの恵み
 また主イエスは、弁護者・聖霊が世に来ることが私たちのためになるとお語りになります。聖霊の時代は終末の時代、神の国の完成に向けての歩みの時です。神の国が完成する時、神の民は集められ、そうでない人たちと分けられます。主イエスは毒麦の譬えを話されました(マタイ13章)。良い種が蒔かれている麦畑に毒麦も蒔かれているのです。それが混在しているのが現在です。今は良い麦が抜かれることを防ぐため、収穫の時まで一緒に育て、収穫の時に良い麦のみ収穫され毒麦は焼き払われていくのです。弁護者・聖霊の働かれる時代は、まさに神の国の完成に向けての時代であり、神の民とそうでない者たちが区別されていくのです。主イエスはそれを、罪・義・裁きの3つにおいて説明致します。
 ①罪について:この世の人々は、自らの姿を知りません。なぜなら、世の人々は相対的な関係においてしか罪を考えることが出来ないからです。そのため、自らが罪に汚れ、救いが必要であることが分からないのです。しかし御霊によって示された御言葉は、福音宣教によって、律法をお示し下さいました。律法は、社会一般の相対的な善悪のみならず、自らの罪の姿が明らかにします。だからこそ神によって集められる民は、聖霊の働きにより、主の御前に集められ、自らの罪の悔い改めへと促されていくのです。一方、そうでない者たちは、自らの姿を受け入れられず、神さまを信じることが出来ないのです。
 ②義について:前述のキリストの十字架により明らかになります。
 ③裁きについて:キリストの十字架は、神の民に対しては罪の赦しと救いを提供しましたが、そうでない者たちに対しては、神への不従順・傲慢さ故に、裁きが示されたのです。裁きは脅かしではありません。私たちは第一のものを第一にすること、すべての支配者・贖い主を受け入れ、聞き従うことが求められているのです。

Ⅳ.裁きの遅延
 最後に一つ付け加えます。まだ収穫の時は来ていないという事実です。まだ良い麦としての神の民が、すべて主の御前に集められていないのです。だからこそ、私たちは伝道することが求められるのです。神は、すべてを滅ぼす恐ろしい神ではなく、信じる者はすべて救って下さる愛の神であり、今なお、人々に罪の悔い改めと救いを指し示して下さっています。どうか、主の愛を受け入れ、信じて頂きたいです。宣べ伝えて頂きたいです。


                                     (2011.9.18)

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