【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「一つになる」  ヨハネによる福音書17章20~26節



ヨハネによる福音書17章20~26節

  20 また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。21 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。22 あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。23 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。24 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。25 正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。26 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」




Ⅰ.主イエスの祈り
 主イエスの祈りは、最初、父なる神に対して向けられ(1-5)、次に11人の弟子たちに向けられました(6-19)。最後に、弟子たちによって宣教され、キリスト者へとされる人たち、つまり私たちに向けられた祈りです。
 キリストの御業は十字架の贖いだけではありません。キリストは私たちのために祈って下さっているのです。それもこの時ばかりではなく、天に昇られ、父なる神の右に座しておられる今なお、私たちのために執り成しの祈りを捧げ続けて下さっているのです(参照:ウェストミンスター大教理問55)。御子は今も天にあって、私たちのために執り成しの祈りを続けて下さっているのです。それは、まだ神さまを知らない人たちが、御霊の働きにより、心動かされ、神の御前に、教会へと促されていくためにもです。

Ⅱ.一つとなる
 このキリストの執り成しは、神に属する者、つまり神のご計画によって救われる者、これから神さまによって呼び集められるすべてのキリスト者に対しての祈りです。キリストの祈りの目的は、私たち神に属する者が一つとなることです。
 しかしクリスチャンが集まれば、一つとなれるかと言えば、そうではありません。日本基督教団の例に見ます。日本基督教団は、1941年(昭和16年)に日本政府によってキリスト教会は一つであるべきであるとの命令により、プロテスタント教会33教派が合同して生まれました。当時の教会は、「教会が一つであることは素晴らしいことである。神の摂理である」と諸手を挙げて喜んだのです。しかしここに大きな問題が二つありました。一つは、為政者の命令に従って教会が行動したことです。第二は、神の御言葉による一致があって行動したのではなく、信仰の違いにより別々の教派となっていた者たちが呉越同舟の如く一つとなったのです。これは主イエスの祈りとは逆であり、一つになることは出来ません。
 そのため日本キリスト改革派教会は、戦後の1946年に教会が信仰告白において一つになることを目的に、日本基督教団を離脱したのです。主がお語りになる聖書に基づく信仰による一致を求めた故です。三位一体なる神が一つであるように、キリスト者も一つとならなければならないのです(22-23)。そして、キリスト者はキリストと一つとなり、御父・御子・御霊なる神と一つとなることが求められています。それも「完全に」です。つまり私たちは人間的な一致を求めてもダメです。三位一体なる神との一致を探らなければなりません。そのために主は御言葉の聖書をお与え下さり、御言葉への聴従を求めます。そして御言葉による信仰の一致を確認できれば、信仰告白するのです。つまり教会は、聖書を解釈し、信仰告白で一致することにより、はじめて一つとなることが出来るのです。
 この時、私たち一人ひとりの信仰、信仰に生きる私たちの生活が問われます。キリストが私たち一人ひとりのために執り成しの祈りを献げて下さっているように、私たちは、主を日々愛し、主を礼拝し、主の御言葉に聞くこと、そして主が一つにして下さっている教会、つまり兄弟姉妹、家族のことを愛し、敬い、仕えていくことが求められているのです。

Ⅲ.神の民として生きる
 そして教会が一つとなるための中心に神の栄光があります。神さまは、御自身の持っておられる栄光を、御言葉をとおして私たちにお示し下さったのです。つまり食べること、飲むこと、人と話し合う時・・、私たちの日々の生活の中のちょっとしたことを行う時にも、神の栄光に適っているか、隣人を愛する者としての行為・言葉となっているかを確認して、生きることが求められているのです。日々の生活とかけ離れた所において信仰の一致はありません。罪に汚れ、滅び行く私たちに、キリストは栄光を携えてきて下さったのです。だからこそキリスト者が、栄光を讃えようとする時、それは主が持っておられる栄光を写し出すことでしか表現できないのです。そのため私たちは、主を知り、主の私たちに対する愛を知らなければなりません。そのため私たちは、御言葉に聞き続けるのです。
 だからこそ私たちキリスト者は、神の救いに入れられ、神の子としての永遠の生命が与えられた者として、神に栄光を帰することにおいて、一つとなることが求められているのです(参照:ウェストミンスター大教理問1)。私たちが信仰によって神の栄光を讃える生活が示され一つとなる時、私たちの日常が信仰の証しとなり、それが世の人々に伝えられていくのです。これこそが伝道です。私たち自身が、救いの喜び、神の栄光を求めて信仰を貫くことにより、一つのキリスト教会、真の伝道がなされていくのです(23b,25-26)。


                                     (2011.12.18)

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