【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「民の身代わりの死」  ヨハネによる福音書18章12~14節



ヨハネによる福音書18章12~14節

  12 そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、:13 まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。14 一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。




序.
 主イエスの十字架の死は、私たちキリストに繋がる者の救いのため、私たちの罪の贖いのためであることを、私たちは信じています。そしてそれは、主イエスは私たちの罪の刑罰のために、生け贄として献げられたのです。

Ⅰ.主に仕える働き人としての祭司
 旧約の時代、主はイスラエルに生け贄を献げることを求められました(参照:レビ1-5章)。そして神の祭壇において奉仕を行うのは祭司の務めでした。つまり祭司は、主の御前に出て、民の罪を贖う儀式を司ることが求められ、聖なる者の務めを行いました。特に大祭司は、年に一度、至聖所に入ることが許される唯一の人物であり、神による聖めが示された特別な職務として与えられていたのです。ですから、大祭司・祭司・そしてレビ人は、主からの特別な召しが与えられ、モーセの兄アロンとその子孫に引き継がれたのです。

Ⅱ.主イエスの時代の大祭司
 ところが、主イエスの時代の大祭司はどうだったか? 「その年の大祭司はカイアファ」と記されています(13)。本来、大祭司はアロンの家系ツァドクの世襲であり、終身制でした。年毎に交代する職務ではありません。毎年交代したのは、ヘロデ王が自らの権力を人々に知らしめる目的・政治的策略において変更させられていたのです。ヘロデ王は、政治的に利用し、政治権力が教会(宗教)を利用したのです。
 また大祭司は、ユダヤの最高法院(祭司長、律法学者、長老からなる:マタイ27:41、マルコ11:27、14:43、53、15:1、ルカ22:66)の議長です。ですから、大祭司は、ローマと交渉することも求められたのです。従って大祭司は、一方はヘロデ王の顔色を見ながらも、もう一方、政治的・宗教的にイスラエルでの権力を握っていた職務者でした。
 また逮捕された主イエスが連れて行かれたのは、大祭司カイアファではなく、しゅうとであり、過去において大祭司を務めていたアンナスでした。つまり実際にはアンナスが権力を持っており、最高法院を支配していたのです。
 つまり、本来主なる神さまの御前に立ち、神と民の仲保者として、いけにえの儀式を司る大祭司が、政治的に利用されており、自らも政治的・宗教的権力者でもあったのです。しかも実質的にその権力の座にあったのは、大祭司ではなく、アンナスであったのです。ここに主の仕え人としての姿を見ることなく、神の存在を無視した所において世的な権力が幅を利かせている状態に陥っていたのです。

Ⅲ.大祭司イエス・キリスト
 こうした状況の中、主イエスは逮捕され十字架に架けられ、いけにえとなっていきます。旧約の時代、いけにえとして献げられたのは動物でしたが、繰り返し行うことが求められました。実際には、罪の刑罰を動物において行うことは出来ず、真の神の御子メシアであるイエス・キリストのみが、人の罪の贖いを成し遂げることがおできになるのです。つまり旧約の時代、動物のいけにえを続けたのは、やがて来られる救い主の生け贄をおぼえつつ、それは陰に過ぎなかったのです。しかし、真の光としての御子が来られ、ご自身が生け贄として十字架に架かられたのです。このイエス・キリストの十字架の死により、旧約の民、新約に生きる私たち、キリストに繋がるすべての神の民の罪の贖いは、完成したのです。そのため新約に生きる私たちは、改めて罪の贖いを動物のいけにえに求める必要はなく、イエス・キリストの十字架において罪に贖いが成し遂げられたことを覚え感謝し、私たちは主の晩餐の礼典、つまり聖餐式で罪の贖いが完成したことを確認するのです。
 では、大祭司が世的に腐敗した中、主イエスが十字架にいけにえとして献げられる時、実質的に祭司としての務めは誰が担ったのか? この時私たちは、主イエスは自ら逮捕され、十字架の道を歩まれたことを忘れてはなりません。主イエスは、弟子たちに対して、繰り返し繰り返し、逮捕され、十字架の死と復活を遂げることを語ってこられました。私たちは、最後の晩餐における主イエスの説教を聞いてきたのです。


 真の救いを成し遂げるため、ご自身を生け贄として献げられる主イエスご自身が、まさに大祭司として、神と神の民であるキリスト者との間に立つ仲保者として、その働きを成し遂げて下さったのです(参照:ウェストミンスター小教理問答(問23、問25))。
 今の時代も、為政者・権力者は、宗教を支配し、自らの権力を保持しようと働きかけます。教会は、常にその危険にさらされています。しかし、父・子・御霊なる三位一体なる神さまによって召しを受けた牧師は、主のお語りになる御言葉の聖書を通して、語り続けます。神の御言葉にこそ、真理があり、救いがあります。
 だからこそ私たちは、すべてを支配し、今も生きて働く主なる神さまの御前に、信仰を告白し、主の御言葉に聞き従うことが、今改めて求められています。世に流されれば、キリストの十字架もまた光り輝くことなく、曇り、霞んでしまいます。自らの思いのおいて行動しようとすれば、権力者からの脅しに屈してしまいます。力の支配に屈することなく、御霊の支配、神の御言葉に支配に満たされ、光り輝くイエス・キリストによって与えられた救いの希望に生き続けることが求められています。


                                     (2012.1.29)

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