【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「実現する聖書の言葉」  ヨハネによる福音書19章23節~24節



ヨハネによる福音書19章23~24節

19:23 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。
19:24 そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。



Ⅰ.小さな出来事が書き留められた理由
 主イエスは、十字架に架けられ、苦しまれています。しかし、聖書は主イエスから目を離し周辺のことを記します。ローマ兵によって、主イエスの着ていた服が分けられたのです。聖書の中では、非常に小さな記事です。しかし、ヨハネは書き記したのです。
 ヨハネは、他の共観福音書が書き記さなかったことを中心に記してきました。しかし、この小さな記事は、共観福音書でも記されており、ヨハネも改めて記します。この小さな出来事は、聖書を知るためには大切なことが記されているからです。
 この小さな出来事は、ローマ兵にとっては何気ない行為でした。犯罪人の衣服を分け合うことは、彼らにとっては戦利品を手にすることとして、普通の出来事でした。しかしこの小さな出来事は、旧約聖書においても語られていた出来事であり、それが成就したとヨハネは語るのです。それが詩編22:19に記されています。詩編22編では、詩編の作者の苦難と叫び、それを超えた信仰による希望が歌われています。詩編の作者は、最初からメシアの受難の予告の歌として歌ったものではなかったでしょう。しかし主は、この詩編をとおして、キリストの十字架の受難において成就したことを確認していくのです。旧約聖書では、これだけ小さな出来事までもが預言され、それが成就するのです。そうであれば、主の大いなるご計画、つまり神の民を救うご計画はなおさらのこと、確実に成し遂げられるのであり、この大いなる御業を私たちは読み取り、信じることが求められているのです。

Ⅱ.預言が成し遂げられる神の御言葉
 だからこそ私たちは、主によって示された預言が、成し遂げられていくことを、聖書全体の御言葉を骨折って読み続けることが求められるのです。その事実を知らないからこそ、信じることが出来ないのです。とにかく、私たちは旧約・新約の聖書を読まなければなりません。主なる神さまは、主の御前に罪を犯した人間に対して、一方的な救いを提示して下さいます。原福音(創世3:15)、ノアの祝福(同9章)、アブラハムの選び(同12章)、出エジプト、そしてメシア預言がなされ、それが主イエス・キリストによって成就していくのです。また主はイスラエルに繰り返し罪を悔い改めるように迫り、主の道を歩む民には祝福をお与え下さいますが、罪から離れない民には、裁きを行われました。出エジプトにおける荒れ野の40年、南北イスラエルの分裂、北イスラエル王国の滅亡、南ユダ王国のバビロン捕囚・・。
 キリスト教は言葉の宗教です。イスラエルの民のように、主の約束に盲目になってはなりません。主がお語りになった預言は確実に成し遂げられ、約束は成就するのです。このことを私たちは御言葉である聖書、特に旧約聖書を読み、理解しなければ、本当の救いの確信、預言、救いが成し遂げられることの確認を持つことは出来ないのです。
 ヨハネがこの小さな出来事を記し、「聖書の言葉が実現するためであった」と付け加えたことは重要なことです。ヨハネは28節、36節でも繰り返します。「聖書の言葉が実現するためであった」という言葉は、聖書全体を理解するキーワードの一つです。だからこそ私たちの救いも確かに成し遂げられることを、私たちは確信して信じることが出来るのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒16:31)との主の約束が語られています。日本語では「約束は破られるためにある」とも語られますが、主の約束は破られることがありません。救いの約束は「恵みの契約」です。契約は果たす義務が伴うのであり、主の約束は、破棄されることはないのです。
 現在、情報化社会になり、インターネットやスマートフォンを通じて、情報があふれています。私たちは何が正しい情報か選び出す必要があります。そこに知恵が求められます。しかし聖書に記された言葉は、神の御言葉であり、ロゴスそのものなのです。だからこそ、私たちは、情報過多な時代にあって、真実を見失うことがあろうとも、主の御言葉である聖書の言葉は、揺るぎない神の御言葉として信じ、御言葉によって指し示されている主イエス・キリストの十字架の御業を救いの御業と信じることが出来るのです。
 そして、私たちの救いの希望は、神の国の完成にあります。昨日、井上二郎牧師の奥様の葬儀が行われました。井上牧師は、死を前にした夫人に、死の恐怖以上に、これからもたらされる神の国の祝福を語り伝えたことが紹介されました。私たちには、神の国のおける永遠の生命の祝福が約束されているのです(黙示録21:3~4、6~7)。


                                     (2012.4.22)

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