【ヨハネによる福音書連続講解説教】  辻 幸宏牧師

「十字架の真実の証言」  ヨハネによる福音書19章31節~37節



ヨハネによる福音書19章31~37節

  31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。:33 イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。:34 しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。:35 それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。:36 これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。:37 また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。



序.
 人間の記憶は、完全なものではありません。一つの出来事、事故、あるいは災害が起こった時には、鮮明に記憶し、その事実をいつまでも覚えておかなければならないと思っていたとしても、次第に記憶は薄れます。ましてや世代が下ると忘れ去られていくのです。

Ⅰ.真実を証言し、語り伝えよ!
 事実を伝えていくためには、記録に残すこと、そして伝えていくことが求められます。現代は情報化社会となり情報が溢れています。そのため記録すら埋もれてしまうのであり、大切な記録は、語り伝えていくことがより重要となっています。聖書は、主イエス・キリストが、十字架の上で死を遂げられたこと、そして三日目の朝に復活を遂げられたことを、事実として書き留めます(エマオの途上(ルカ24章、パウロの証言(Ⅰコリント15:3-6))等)。そして「それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。」(19:35)と書き加えるのです。
 十字架と復活は奇跡であり、事実であったとしても、ちゃんと語り継がなければ、人はその事実を信じることは出来ず、否定します。だからこそ出エジプトにあっても、主はその事実と主の律法を子どもたちに語り継ぐようにくどいくらいに語るのです(申命6:4-9)。それでもイスラエルは主の御力・神の愛を忘れ、神から離れ、偶像崇拝を行い、軍事力に頼ろうとするのです。その結果が、イスラエルの分裂であり、捕囚です。
 だからこそ、私たちは聖書に記された事実を私たち自身が確認して、真実として受け取り、さらに、一人ひとりが子どもたちに、そして人々に語り継いでいくことが求められているのです。他人まかせ、牧師まかせではなく、一人ひとりが御言葉から主の偉大な御業を確認し、畏れ、ひれ伏し、感謝と喜びをもって、聞き従わなければならないのです。

Ⅱ.伝えなければならない真実
 では、私たちが語り継ぐべき事実とは何か? 繰り返して語られるキリストの十字架と復活の事実です。それにもう一つ。兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した時に、血と水が流れ出たことです(34)。このことが医学的に検証できるか否かは問題ではありません。その事実が語るしるしを確認することが大切なのです。
 「血」と「水」は何を何を語ろうとしているのか。私たちは、十字架の血が、私たちの罪の贖いのためであったことを知っています。旧約の時代は、主の御業がまだであったため、動物の生け贄を繰り返し行ってきたのです。そして新約の現代は、聖餐式により、このことを確認します。聖餐において配餐されるパンがキリストの体、葡萄酒がキリストの血であることを霊的に表しているのです。そしてキリストの十字架こそが、私たちの救いであったことを確認するのです。
 一方「水」に関しては、先週も確認してきたとおりであす。つまりキリストこそが、永遠の生きた水をお与え下さる方であり、キリストを信じ、キリストに繋がることこそが、渇くことのない永遠の生命、神の御国に導かれるのです。
 では、なぜここで血と水が、あえて2つあったことを、聖書は真実なこととして書き残し、私たちは語り継いでいかなければならないのか。キリストの十字架においてもたらされた二つの恵みが密接に関連しているのです。それらを総合して私たちは受け入れなければなりません。つまりキリストの十字架の御業により、一方にあってはキリストが生け贄として献げられ血を流されることにより、私たちの罪の贖いが成し遂げられたのであり、もう一方、このキリストにより、永遠の生命が与えられたのです。罪の赦しと永遠の生命、この二つのことが、キリストの御業によって私たちに与えられたのです。
 このことをヨハネは手紙においても確認しています(ヨハネ一5:6~9)。ここでは、水と血、それを“霊”が証しすると語ります。つまりキリストの御業は三位一体論的(水:御父の救いの計画、血:御子の贖い、霊:御霊の働き)にとらえることが必要です。キリストの御業は、書き留められ、語り続けられてきています。しかし御霊の働きがなければ、人々はこの事実を知り、信じることは出来ません。私たち自身は、直接キリストの十字架と復活に立ち会うことは出来ません。しかし御言葉が証しされ、御霊が働く時、私たちはこの事実を知り、信じることが出来るのです。


                                     (2012.5.20)

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