【クリスマスの説教】  「平和をもたらす救い主の誕生」  辻 幸宏牧師


  イザヤ書11章1〜5節(新共同訳聖書)
11:1 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
   その根からひとつの若枝が育ち
11:2 その上に主の霊がとどまる。
   知恵と識別の霊
   思慮と勇気の霊
   主を知り、畏れ敬う霊。
11:3 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
   目に見えるところによって裁きを行わず
   耳にするところによって弁護することはない。
11:4 弱い人のために正当な裁きを行い
   この地の貧しい人を公平に弁護する。
   その口の鞭をもって地を打ち
   唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
11:5 正義をその腰の帯とし
   真実をその身に帯びる。


  ルカによる福音書2章8〜14節(新共同訳聖書)
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
   この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
   これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、
    地には平和、御心に適う人にあれ。」



 クリスマスおめでとうございます。現在の世界を見渡しますと、2001年の9.11以降、世界が激変していると言っても過言でないでしょう。「テロ」の名の下に、意見の異なる人びとに対して、「テロの恐れがある」と語り、弾圧をすることが正当化されつつあります。私たちの住むこの日本も、同じ道を歩みつつあります。そして、こうした流れの中心にいるのが、クリスチャンであると自称する一人の大統領であります。
 キリスト者とは、父・御子・御霊なる三位一体なる唯一の神様を信じる者です。この私たちが信じている神様がどういったお方であるのかを、私たちは知らなければなりません。特にクリスマスをお祝いします時に、御子イエス・キリストが、何を求められ、何を行われるためにこの世にお生まれ下さったのかを、私たちは御言葉から確認せねばなりません。

 主なる神様は、天地万物を創造され、全てを支配なさているお方です。イザヤ書には、エッサイの株(切株)から救い主がお生まれになられることを預言されました。エッサイの子がダビデであり、ダビデの子として、つまりダビデの子孫として救い主イエス・キリストが誕生されます。しかしここで、エッサイと語る時、軽蔑の意味を込められています。軽蔑され、本当ならば何も出てくることのない切り株から、救い主が誕生することを、主は預言されたのです。そして数百年の後、この預言を、主は成就して下さり、イエス・キリストをエッサイの子、ダビデの子として、誕生させて下さいます。
 そして、この約束されていた救い主の誕生の証人として、主は羊飼いをお立て下さいます。聖書では、主が羊飼いであり、羊である神の民である私たちを養って下さり、最後の一人まで捜し出して下さることが記されています(ルカ15:1-7)。ですから、今の私たちが羊飼いの所に主の祝福があったと読めば、元来彼らが祝福されるにふさわしい者であったように思ってしまいます。しかし当時のユダヤの社会においては、羊飼いは、優遇されていたわけでもなく、かえって低い身分の行うものとして、蔑まされていたのです。しかし主は彼らを選ばれ、そして救い主の誕生の証人としてお立て下さいます。そして祝福をお与え下さるのです。「10 恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。・・11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」社会的に無価値な者を、主は喜びと祝福に満たして下さいます。
 そうしたことは、主イエスの御業にも表れています。例えば、漁師である者たちを最初の弟子としてお選びになります(マタイ4:18-22)。また、まったく無価値な者として蔑まれていた子供に対して祝福をお与え下さいます(マタイ19:13-15)。また、病人・汚れた霊にとりつかれた人・らい病(重い皮膚病)の人びとを、癒されます。
 そればかりか、主イエスは、レビと呼ばれたマタイを弟子にされます(ルカ5:27)。彼は徴税人です。徴税人は、ローマに代わって税金を取り立てていたことと私腹を肥やしていたことで、罪人とされていました。このことはザアカイの記事(ルカ19:1-10)で確認できます。主イエスは徴税人であるレビを弟子とし、ザアカイを受け入れて下さいます。
 またヨハネ福音書8章を見て頂きますと、貫通の罪を犯した女の記事が出てきますが、ここでも、主イエスは彼女の罪を赦してくださいます。神の御子、救い主であるイエス・キリストは、罪人の罪を赦し、神様と和解させ、救いをもたらして下さいます。

 そしてさらに、主イエスは弟子たちに対して次のように語られます。マタイ5:21-22 あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。マタイ5:38-40「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。マタイ5:43-44「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。マタイ7:1-5「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
 敵である者を愛し、そして罪人を自分で裁くことを自分の手で行わないようにと、命じられておられるのです。裁きをなさるのは、主なる神様の御業です。良い麦と毒麦は(マタイ13:36-43)、成長して収穫の時を迎えなければ、収穫して良い麦なのか、焼き捨てられなければならない毒麦なのかは、判別することが出来ないのです。たとえ、今、主の御前にサタンの使いとして働いていたとしても、主がその方の罪を赦すこともあり得るのです。私たちに求められていることは、人を裁き悪を排除することではなく、地の塩、世の光として、自らの罪の悔い改めを行い、信仰を告白し、その上で、目を覚まして和解と悔い改めへと人を導く事ではないでしょうか。
 主イエス・キリストは、この世に救いをもたらすために遜り、お生まれ下さいました。そして私たちを救いに導いて下さったように、今なお主から離れている多くの人々に救いをお与え下さるために、今なお天に居られつつ、聖霊を通してお働き下さいます。
 だからこそ、私たちも、人を裁くことなく、主による救いと感謝を持って、人に和解と平和を伝えていくことが出来ますよう、歩み続けていきたいものです。

                               (2004.12.12 大垣市民クリスマス 説教より)





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