【礼拝説教】  「教会をたてる」  辻 幸宏牧師



  マタイによる福音書7章24〜29節 (新共同訳聖書)

7:24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の
   家を建てた賢い人に似ている。
7:25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。
   岩を土台としていたからである。
7:26 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた
   愚かな人に似ている。
7:27 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その
   倒れ方がひどかった。」
7:28 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。
7:29 彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからで
   ある。


 2005年の大垣教会の目標と聖句、改めて確認致します。
  標語 「神の言葉を礎とし、教会をたてる」
  聖句 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
  岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」 (マタイ7:24)

 大垣教会は、月に一度の家庭集会から始められてから今年30年を迎えます。当初の計画ではもっと早く教会独立が求められていました。しかしながら大垣教会は、教会政治的にはいまだ伝道所であり、岐阜加納教会からの経済的な援助を受け、教会役員である長老・執事を立てることが出来ていません。ですから教会として独立することが求められています。そのために伝道します。しかし同時に、教会役員としての長老・執事が立てられることが必要です。さらに伝道して教会員が増えれば、長老・執事として立てられる人も出てくるだろうという、人任せな信仰ではいけません。主なる神様があなたを教会に導いて下さり、そして信仰をお与え下さっているのです。ですから、あなたが何らかの形で、教会を支えるための働きが求められていることが主から示される必要があります。もちろん教会の働きは教会役員に留まらず、様々な働きがあります(参照:Tコリント12:12-31)。教会に集っている皆さまが、それぞれの賜物に相応しい働きを教会において行い、一つのキリストの体としてのキリスト教会を立てることが求められているのです。
 さてマタイ7:24-29は、山上の説教(5〜7章)の最後の言葉です。つまり主イエスが今まで語ってきた御言葉に、あなたは聞き従わなければならないのです。これは主の命令です。しかい「主イエスの語られる御言葉に聞き従ったから、あなたは救われる」のではなく、「すでに主によって救われたあなただからこそ、主イエスの言葉に聞き従いなさい」と語られているのです。この順番を逆転させてはなりません。もし主イエスの語られた御言葉を行う事により救いを獲得するのであれば、本当の信仰を養うことは出来ません。なぜならば、「今日はこのことは出来た。でかしこれは出来なかった。これでも神様は私を救って下さるのだろうか。私は救われるのだろうか。救いから外れてしまうのだろうか。」というように、いつも神様の目を伺いながら戦々恐々としなければならないからです。異端や新興宗教は、この方法がで、救いから漏れる恐怖心をあおり、伝道させていくのです。
 一方律法学者は、守ることの出来る律法のみに特化し、守ることの出来ない律法を誤魔化します。そして自分たちを救いの中に入れ、同じ事が出来ない人たちを裁きます。
 では主イエスは、どうように主の御言葉を行いなさいと命令されているでしょうか? これは私たちの弱さと関係します。主イエスの御言葉に従うことにより、雨や洪水に喩えられる試練・迫害などを乗り越えることが出来ます。昨年来、台風や洪水・地震・津波などがあり、私たちは自然の恐怖を覚えます。しかし備えることにより、被害は格段と減少します。つまり主の御言葉を守ることにより、私たちは罪の誘惑から守られ、私たち自身が罪を犯すことを避けることが出来るのです。サタンは巧みに誘惑を仕掛けてくるからこそ、私たちは御言葉に聞き、信仰が守られ、悪を避ける手だてが求められているのです。
 従って、神様の命令として律法を守ることは、救いを獲得するために行うものでもなければ、律法主義でもありません。主による救いに与った私たちが、救いにあることを感謝しつつ、さらに信仰が守られ、養われ、主の栄光を称えるために与えられた霊の糧なのです。私たちは、肉の糧つまり通常は食事を一日三食欠かさず取るように、霊の糧である御言葉に、私たちは与り続けることにより、私たちの信仰の成長が成し遂げられ、どの様な苦しみや試練をも乗り越える信仰と忍耐が備えられていくのです。
 そして、御言葉の養いを受けて、主の御言葉によって生かされ、その養いによって生かされている私たち一人一人は、今、主は何を求めておられるかを、具体的に確認していくことにより、教会の成長・独立に向けての歩みを行っていくことが出来るようにされていくのです。そこに長老・執事として立てられるべき人がいるならば、その人にその働きのための召しが与えられ、その働きのために必要な賜物が与えられていくのです。
 自分には出来ないと、自分で判断するのではなく、まず主はあなたに何を語りかけて下さっているのかを、御言葉から聞きつつ、祈り求めて頂きたいのです。御言葉を礎とする信仰の養いは、あなたの信仰を養い、そしてそれが同時に、教会をたてていきます。


                                              (2005.1.16)
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