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【特別伝道礼拝説教】  「ストレス社会とキリスト教」  辻 幸宏牧師


  イザヤ書43章1〜13節 (新共同訳聖書)
43:1 ヤコブよ、あなたを創造された主は
   イスラエルよ、あなたを造られた主は
   今、こう言われる。
   恐れるな、わたしはあなたを贖う。
   あなたはわたしのもの。
   わたしはあなたの名を呼ぶ。
43:2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。
   大河の中を通っても、あなたは押し流されない。
   火の中を歩いても、焼かれず
   炎はあなたに燃えつかない。
43:3 わたしは主、あなたの神
   イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。
   わたしはエジプトをあなたの身代金とし
   クシュとセバをあなたの代償とする。
43:4 わたしの目にあなたは価高く、貴く
   わたしはあなたを愛し
   あなたの身代わりとして人を与え
   国々をあなたの魂の代わりとする。
43:5 恐れるな、わたしはあなたと共にいる。
   わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り
   西からあなたを集める。
43:6 北に向かっては、行かせよ、と
   南に向かっては、引き止めるな、と言う。
   わたしの息子たちを遠くから
   娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。
43:7 彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。
   わたしの栄光のために創造し
   形づくり、完成した者。
43:8 引き出せ、目があっても、見えぬ民を
   耳があっても、聞こえぬ民を。
43:9 国々を一堂に集わせ、すべての民を集めよ。
   彼らの中に、このことを告げ
   初めからのことを聞かせる者があろうか。
   自分たちの証人を立て、正しさを示し
   聞く者に、そのとおりだ、と
   言わせうる者があろうか。
43:10 わたしの証人はあなたたち
   わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。
   あなたたちはわたしを知り、信じ
   理解するであろう
   わたしこそ主、わたしの前に神は造られず
   わたしの後にも存在しないことを。
43:11 わたし、わたしが主である。
   わたしのほかに救い主はない。
43:12 わたしはあらかじめ告げ、そして救いを与え
   あなたたちに、ほかに神はないことを知らせた。
   あなたたちがわたしの証人である、と
   主は言われる。
   わたしは神
43:13 今より後も、わたしこそ主。
   わたしの手から救い出せる者はない。
   わたしが事を起こせば、誰が元に戻しえようか。


T.ストレス
 戦後60年が経ち、社会的にも歪みがたまり、政治においても経済においても変化が求められ、社会生活が変化しようとしている最中、私たちの生活の中には、ストレスが多くなってきているのではないかと思います。それを象徴する言葉が、「癒し」という流行語です。経済状況が少しは良くなり、癒しブームは去り、ストレスが社会からなくなったのか? まだ様々な面での歪みがあり、現在の日本社会にストレスが大きく存在しています。

 それを象徴する事件が、先日発生したJR西日本の尼崎脱線事故ではないでしょうか。暴走運転を行い事故を起こしてしまった運転士の状況を思い浮かべてみましょう。オーバーランを行わない。それは運転士としての腕の見せ所であります。そして失敗を繰り返すような者には、本来運転士としての資格が与えられてはならないのです。しかしそうは言っても人間ですから、失敗を犯します。人間は機械との違います。だからこそ、人間が失敗を犯してしてもそれを回復するゆとりが必要です。そのゆとりがあることにより、気持ちの余裕が出来、失敗自体も減るのです。また失敗を犯した理由をじっくり考え、理解し、失敗を繰り返さないことが求められていきます。しかしJRでは、失敗を行うと、厳罰が待っており、失敗を繰り返す事への恐怖心を持たせるような状態になっていたのです。
 つまりストレスを少なくし、また失敗を少なくしようとすれば、ゆとり、失敗を回復する状態を保つこと、失敗をしてもその原因を探ることが出来ることが求められていきます。

 つまりストレス社会を解消するためには、上に立つ者の判断が非常に重要なものとなってくるのです。目先にあることだけ、経済状況のみ、と言ったある局所的な部分のみを見ておりますと、長期的な視野、現場において働いている人たちの環境など、様々な面で歪みを生み出し、それぞれの場においてストレスを生み出す状況を作り出すのです。ですから上に立つ者は、全てを見渡し、全ての人に対する配慮、つまり愛があるかが問われて来るのです。上に立つ者たちが、本当の意味での愛、つまり全ての人に対する心遣いが出来るようになりますと、ストレスを軽減していくことは可能となってくるのだと思います。
 しかし現実社会においては、自らがそうしたストレスを軽減することが出来る立場にいる人たちは、少ないのです。そうした中、人々はストレスを発散するため、スポーツを行い、スポーツを観戦し、余暇を満喫するのです。実際に、私も野球を見たりするのは大好きであり毎日楽しんでおりますし、昨日は青年会の人たちと体育館においてスポーツを行い汗を流しました。こうしたことをするのは非常に楽しいですし、ストレスも発散します。

U.ストレスを根元的に取り除くために
 しかしスポーツや余暇においてストレス自体は解消されますが、ストレスそのものがなくなったわけではなく、職場に戻ったり通常の生活に戻れば、ストレスが戻ってくるのです。ですから、こうしたことを繰り返している間は、問題は何も解決せずに残るのです。
 ではどの様にすれば、根元的にストレスを解消し、問題を解決することが出来るようになるのでしょうか。ここにおいて、対処的な方法や、How To的な方法によって、簡単に解決することは出来ないのですね。そのために、私たちは、私たちに生命を与え、生かして下さる主なる神様に立ち戻らなければならないのです。

V.主はあなたと共におられる
 聖書をご覧下さい。ヤコブよ、あなたを創造された主は、 イスラエルよ、あなたを造られた主は、 今こう言われると語ります。イスラエルとは、イスラエル民族のことでありますが、この名は主なる神様が、ヤコブにお与えになった名前であります。つまりイスラエルは、主によって創造され、生かされ、名前を授けられる程に全てを主によって支配されているのです。このイスラエルを、あなたの名前に変えて読んで頂きたいと思います。主はあなたに語っておられます。続けて主なる神様はあなたに語られます。恐れるな、わたしはあなたを贖う。 あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ。主は、あなたの苦しみを取り除き、救いに導いて下さることを宣言して下さるのです。ストレスを抱えて苦しみを覚える時、主が共にいて下さり、その苦しみを担って下さるのです。
 2節に3つのことが記されています。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。これはノアの洪水の場面です。主なる神様は、全世界が罪に罪を繰り返すために、全世界を洪水によって滅ぼされたのです。しかし、ノアとノアの家族だけは、主が共にいてくださり、箱舟を作り、それに乗ることによって、生命を守って下さったのです。
 大河の中を通っても、あなたは押し流されない。これは、出エジプトのイスラエルが、紅海にさしかかった時、追ってくるエジプトの軍隊に追いつかれようとする時、主は大河を開き、イスラエルの民を渡らせ、そして渡り終えると、もう一度大河を元通りにし、エジプト軍を滅ぼされたのです。映画十戒の最後の場面であります。
 火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。これはダニエル書の話しです。ユダはバビロンに滅ぼされ捕囚の民とされます。その時、ダニエルを初め4名のユダの少年たちは、バビロンの王ネブカドネツァルによって認められ、養成され、王に仕えるものとされました。しかし彼らはネブカドネツァル王が偶像崇拝を強要するためにそれを拒絶したのです。そうした状況の中、彼らは熱く熱く熱せられた炉に放り込まれたのです。彼らを引いていった男たちを焼き殺す中、主は彼らを守り、生命を守って下さったのです。

 4〜5 わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。 恐れるな、わたしはあなたと共にいる。 主なる神様は、あなたと共にいて下さいます。そして、価高く、貴く、主があなたを愛していて下さいます。主なる神様がおられ、あなたを生かし、あなたを愛しておられるのです。その主なる神様が、あなたを贖い、救って下さるとお語り下さるのです。
 贖い、救うとは、最終的なストレスである死を取り除いて下さることです。死んでも、イエス・キリストが十字架の死から三日目の朝に復活をして下さったように、キリストの再臨の時に、復活させられ、永遠の生命の約束が与えられるのです。復活の生命が与えられた時、苦しみも悲しみもすべて取り除かれているのです。神様を信じるとは、こうした恵みに満たされているのです。
 そして、主の愛を知り、主による救いを知る時、同時に、主の真理・義・聖が示されます。主の義・聖・真実が御言葉の聖書から示されれば示される程、ストレスの根本的な原因を取り除けるために、何が求められているかを知ることが出来るのです。

 私たちの教会は、イングランドのピューリタンからの信仰を受け継いでいる教会ですが、ピューリタンは、主なる神様を信じ主の日の礼拝を厳守しましたが、同時に、聖書研究に非常に熱心でした。するとどうなりましたか。彼らは、世にある不正を正していくのです。国王に対しても、誤ったことを行っておれば、それを指摘していくのです。そして社会から悪の故に広がった罪を取り除くように動き出すのです。
 そうしますと、国王ジェームズは1618年にスポーツの書を発令します(1633年:チャールズ1世再発表)。「日曜日には、朝、教会に行き礼拝に集いなさい。しかし、昼からはスポーツをどんどん行いなさい。」こういった勅令です。これは現在の私たちクリスチャンにとっては喜ばしいような勅令に聞こえます。しかし問題は、「スポーツにいそしみなさい」と言うことです。ここにある狙いは、何も考えずにスポーツを行い、全てを忘れることにより、国王や政治に対して、考えたり、不正なことがあっても口出しをしないように、との狙いがあったのです。国王は、国民がスポーツに甘んじていることにより、自らの愚策、国民に対してストレスを強いていることに気が付かぬように誘導したのです。
 つまり、ストレスを解消するために、全てをわすれるために行うスポーツやスポーツ観戦、趣味といったものは、一時的には楽しいものですが、むしろ自らに迫るストレスを解消する打開策は何も示されず、上に立つ者が自分に都合の良い愚策を行うために用いられていくのです。だからこそ、私たちに求められていくことは、私たちの苦しみを担い、苦しみを和らげ、また本当の意味での救いをもたらして下さる主なる神様を求めることなのです。そして主がお与え下さる愛を知り、神様がご呈示して下さる御言葉から真理・義・聖を知ることにより、社会にはびこるストレスの原因には、罪・個人的な野望・欲が介在していることが見えてくるのです。そうした事の改善を迫っていくことにより、真の信仰と共にストレス自体が少なくなる社会を実現されていくことへと繋がっていくのです。
                                               (2005.6.12)


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