トップ > 説教要約 > 2005年受難週説教


【受難節の説教】  「わたしに従いなさい」  辻 幸宏牧師


  ヨハネによる福音書21章15〜19節(新共同訳聖書)

21:15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを
    愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、
    あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
21:16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、
    「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、
    「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、
    イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。
    「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく
    知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。
    しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
21:19 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう
    言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。




 今日、主イエス・キリストの十字架の死からの復活を記念しますイースターを迎えました。一人の人が死を遂げるのは非常に重たい出来事です。しかし、近年、日本の社会では、殺人事件や傷害事件が増え、また世界では戦争の名の下、無差別殺人が行われています。それはおそらく、自分に近い者の死んでいくことがほとんどなく、テレビやゲームの影響もあり、本当の意味での死の恐怖が、覆い隠されてしまっているからではないでしょうか。
 しかし弟子たちは、主イエスが逮捕され、裁判を受け、鞭打たれ、十字架に架けられ死を遂げて行かれる様子をつぶさに見たのです。ここに権力の恐怖、刑罰の恐怖、死の恐怖にさいなまれます。そのため弟子たちは主イエスの前から遠ざかり、ペトロは主イエスを三度否定します。まさしく、恐怖という形で、大きく立ちはだかる権威・刑罰・死に何も出来ない自分自身の弱さ、罪深さを、弟子たちは示されたのです。
 しかし主イエスは、十字架の死から三日目の朝に復活されます。そして主イエスは、婦人たちの前に、弟子たちの前に再び姿を現されます。このヨハネ21章には、主イエスが弟子たちの前に現れた3度目のことが記されています(14)。権力と刑罰と死を恐れていた弟子たちにとって、主イエスこそが、地上の権力の上に立っておられる方であり、罪と死に打ち勝たれたことを知ります。そしてこの方こそ、真の主なる神様であると信じます。
 そして主イエスは、ペトロに声をかけられます。ペトロに取って、三度も主イエスのことを否定したその罪が、心の中から離れません。ここで主イエスは、ペトロのことを、「ヨハネの子シモン」と呼び、「ペトロ」とは呼ばれません(15)。ペトロ(「岩」の意)の名は、主イエスがシモンを弟子にした時に与えた名前です(ルカ6:14、ヨハネ1:42)。そして彼は、「人間をとる漁師」(ルカ5:10)とされ、教会の岩(基盤)に立つ宣教者として召されました。
 しかし主イエスは、ここでは「ヨハネの子シモン」と呼ばれます。つまり主イエスを証しする者としてではなく、一人の人間、罪人としてのペトロに対して、主イエスは語りかけられます。つまりペトロは、人間として持っている弱さ、罪が、自分自身のうちにあり、主イエスの一番弟子で偉いのではなく、一人の罪人であることを確認させられます。
 ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」(15)と答えます。これはイエス様こそ真の主なる神様であり救い主であることを認め、自分の心の中も全てご存じであることを認める彼の信仰告白です。しかしペトロは主が「愛する(アガパオー)」と語られたのに対して、「愛する(フィレオー)」と答えたのです。主の真の愛(アガペー)をなおも受け入れることが出来ず、友愛でしか、彼は答えることができなかったのです。しかし主イエスは、そのペトロに対して、「わたしの小羊を飼いなさい」と答えられます。教会の指導者としてのペトロとなるように語られたのです。
 そして、主イエスのペトロへの呼びかけは、二度・三度と繰り返されます(16-17)。そして三度目は、主イエスが「アガパオー」ではなく「フィレオー」で問いかけて下さったのです。ペトロは、主イエスの真の愛に、心を痛め、悲しくなります。ペトロに取っては、自分の罪の重さがのしかかります。しかし同時にそれでもなお罪を赦し、救い、宣教者として召して下さる主の愛を受け入れ、主を信じる者へと変えられていくのです。
 そしてペトロの罪を担って下さったキリストが、今、あなたに対しても、同じ問いかけをして下さっているのです。
 そして主イエスは続けてペトロに語られます(18)。「はっきり言っておく」とは、「アーメン、アーメン」です。「確かです、その通りです」との意味です。主イエスが「アーメン、アーメン」と語られる時、この後に続く言葉が、確実にその通りになるのですよということを、語っているのです。ペトロは、主イエスを宣べ伝え、最終的には、逆さ十字架の刑で死を遂げたと言われています。そのことが主イエスによって預言されたのです(19)。
 ペトロにとっては、主イエスを三度否定する事実があったからこそ、贖い主であるイエス・キリストを信じ、最後まで信仰を貫き通すことが出来たのです(参照:ウェストミンスター信仰告白第5章5節)。
 最後にウェストミンスター信仰告白第5章「摂理について」5節をお読み致します。「最も賢く、正しく、恵み深い神は、しばしば御自身の子たちをしばらくの間、さまざまな誘惑と、彼ら自身の心の腐敗にまかせておかれるが、それは、[第一に]彼らを以前の罪のゆえに懲らしめるため、あるいは、彼らが謙遜にさせられるように、彼らの心の腐敗と虚偽の隠れた強さを彼らに対して露わに示すためであり、また、[第二に]助けを求めて神御自身に、より一層、絶えず依り頼むよう彼らを励ますためと、将来のあらゆる罪の機会に対して彼らを警戒させ、他の正しく清いさまざまな目的を目指させるためである。」(松谷好明訳)

                                               (2005.3.27)


COPYRIGHT(C) 2005 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る