【礼拝説教】  「キリストに仕える」  辻 幸宏牧師



  テモテへの手紙二2章1〜7節 (新共同訳聖書)

2:1 そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい。
2:2 そして、多くの証人の面前でわたしから聞いたことを、ほかの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい。
2:3 キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい。
2:4 兵役に服している者は生計を立てるための仕事に煩わされず、自分を召集した者の気に入ろうとします。
2:5 また、競技に参加する者は、規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができません。
2:6 労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
2:7 わたしの言うことをよく考えてみなさい。主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです。


  2005年の一年の営みが終わり、今日から新しい2006年の営みが始まります。昨年度、主は大垣教会に地上の別れと同時に新しい兄弟が与えられ、新しい命も与えられ、主の恵みに満たされました。新しい年も主の加護と恵みにみたされ、主と共に歩み続けましょう。
  さて年の初め、今日の御言葉は、今の時代、今の日本の社会状況の中、私たちキリスト者が置かれている立場を考える意味で、御言葉が選ばれています。このテモテ書は1:1-2から明かなように、使徒パウロから愛する弟子であるテモテへ書き記された手紙です。そしてパウロは死が間近に迫っている最中(4:6)、遺言の如くに、後の教会のことを託すためにこの手紙を記しています。そしてこの時代、パウロと教会から人が離れて行っているのです(1:15)。そしてさらに人々は自己中心の歩みを行い、社会が混乱し(3:1-5)、主の御言葉に誰も聞こうとせず、偽預言者がはびこることを語ります(4:3-4)。今の日本社会の現状を重ね合わせることが出来ます。こうした状況の中、私たちはキリスト者として、逆境の中、吹雪の中を突き進んでいかなければならないのです。
  パウロは愛弟子テモテに語ります。「そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい。」(1) パウロは時代背景を捉えつつ語っており、私たちは世の中の人々に合わせてはならないのです。「強くなる」は命令形ですが、同時に、原文では受動態で記されており、「強くされなさい」と訳さなければなりません。つまり、テモテ自身は罪を持ち弱さを持っている一人の人間なのであり、自分の力で強くなるのではなく、キリストからの救いの恵み、祝福を与えられなさいと語っているのです。
 しかし私たちが何もしないで神さまが強くして下さるのではないのです。何によって強くされていくのか。多くの証人の面前でパウロから聞いたことです(2)。つまり、パウロは愛弟子であるテモテに対して、福音の全体を語っていたのです。そしてキリストによって強くされるとは、主がお語り下さる御言葉に聞き続けることにより、与えられるのです。
  信仰が強められるための恵みの手段として、御言葉の聖書、礼典(洗礼と聖餐)、祈祷が、私たちに与えられているのですが、何よりも御言葉に聞くことが重要なのです。
  そして、パウロはテモテに対して語ってきた御言葉を、テモテがさらに忠実な人たちにゆだねなさいと語ります(2)。これは宣教であり、信仰の継承です。忠実な人とは、御言葉を語る説教者にです。この当時、信仰から離れる者が多く出てきたのであり、その中に偽預言者たちも多くあったのです。御言葉の説教を語ると言いながら、自らの宣伝をしたり、世的な話しに終始することが多かったのです。そうしたいわゆる偽預言者たちの中にあって、主の御言葉に忠実な説教を語る人たちを育てなさいとパウロは語っているのです。
  現代の教会を見渡しても、聖書の言葉を公然と否定する者、自分の言葉を語る者が、はびこっているのです。これは言葉の権威が廃れていく中、人々に非難されることのない様な聞き触りのよい事だけを語り、聖書の真理を伝えなくなっているからです。そうした状況では、たとえ一時的に人が増えたとしても、真のキリストの教会は立つことはなく、人々は別の関心が出来れば、平気で教会から離れていくこととなるのです。教会を立てるのは、キリストの教会を立てるのであって、人が教会を立てるのではないのです。面白おかしく、人の興味を引くことを行うのが真の教会の姿ではありません。御言葉の説教によって語られるイエス・キリストこそが真の救い主であり、イエス・キリストの十字架の死と復活によって、私たちの罪が贖われ、永遠の救いが与えられるのです。そして御子の再臨により、信じる者は永遠の生命が約束されているのです。これが福音であり、福音から離れた所に、真の教会はあり得ません。
  だからこそ、兵役に付いた者が、上官の命令通りに働こうとする様に、私たちはキリストの御言葉に聞き従う者となるのです(3-4)。そして、オリンピックに参加する者が、決められたルールに従い、用いてはならない薬を用いることなく、自らの力で競技して、栄冠である金メダルを目指すように、私たちも御言葉に聞き従い、栄光の神の国を目指して歩み続けるのです(5)。農作物は、日々、鍛錬に手入れされたものが、立派な農作物として育つのであり(6)、私たちは、神からの祝福を得るために、週毎に主が求めておられる主日礼拝に、祈祷会に、そして日々家庭にあって、個人で行われる家庭礼拝や個人礼拝が求められるのです。そしてそうした場所において、御言葉の養いが与えられ続けることにより、私たちは、より主の御心を知り、主の御前に強められ、主に従おうと、日々変えられていくのです。
 最後に一つ語っておかなければならないことは、日本人キリスト者に特徴なのですが、聖書の学びには熱心です。しかし、頭の信仰になり、聖書が語る信仰が身に付き、信仰生活に行かされていかないこと、実践が伴わないことにあります。これは人ごとではない、私自身の問題でもあるのです。
 主は今、私たちに御言葉の説教をお語り下さっております。だからこそ、私たちは、神の恵みと祝福に満たされ、栄光である神の御国を見据えて歩み続けていかなければなりません。そうした中、救いの喜びが生活に表れ、人々への証しへと繋がっていくのです。そうすることにより、私たちは、世の中がどの様に変わろうとも、キリスト教が受け入れられなくとも、キリストを証しする者として立てられ、私たちの信仰を通して、真の救いを求める者が、さらに与えられ、キリストの教会を立てていくことが出来るのです。


                                              (2006.1.1)
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