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「心の病、治してますか?」  辻 幸宏牧師


ヨハネによる福音書8章1〜10節
  1 イエスはオリーブ山へ行かれた。2 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。3 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、4 イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。5 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」6 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。7 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」8 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。9 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。10 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」



 昨今、病気や健康管理に関するテレビが盛んに行われています。そして皆さんも日頃から健康管理に注意していることでしょう。しかし心の問題に対しては、二の次、三の次となっているのではないでしょうか。阪神大震災以降、ようやく事件・事故が起きた時のケアが必要なことが理解されるようになりました。PTSDのように事件・事故による心の病のため一生涯癒されない人もいます。それはある意味特殊な環境です。しかし私たちは日頃の生活の中にあっても、人間関係や社会の中にあって様々なストレスを抱え、心にトラウマがあったりするのであり、ちょうど病気に関して日頃から小さな現象まで確認して大病に対する備えを行うように、心の病に対しても、小さなことであるとそのままにしておくのではなく、根本的な解決を行うことが求められているのかと思います。
 心の病は千差万別であり、私が一つ一つ提示し、対処方法を教えることなど出来ません。しかし、聖書は、心の病を持っている人に対する根本的な問題解決方法を提示しています。
 ヨハネ8章には、一人の女性が出てきます。彼女は、自分自身が姦通、つまり性的な犯罪を起こし、捕らえられて来ました。彼女が今、罪に問われ、人々から侮辱されるのは、彼女自身の責任です。当時の律法に照らせば、石打の刑罰に相当します。彼女はそこから逃げることが出来ません。そのため、彼女は極度の緊張の中に置かれているのです。
 ここで彼女を主イエスの前に引き出したのは律法学者たちとファリサイ派の人々です。彼らは、ユダヤ教の指導者たちであり、聖書で語る律法に忠実であろうとしていた人たちでが、一方、彼らはイエスに対して憎しみを持ち、イエスを試すためにこの女を連れてきたのです。言い換えれば、彼らは、律法を貫こうとしているのではなく、イエスをためすために、女を利用しているのです。イエスが、憐れみ深く彼女を「石打にしてはならない」と言えば、モーセの律法に反することにより攻撃出来ます。一方、「石打の刑にする」ように語れば、罪人に対する神の憐れみを説いていた教えと矛盾することになります。
 そういう状況の中、主イエスは、かがみ込み、指で地面に何か書き始められます。私たちからすれば、何も答えようとはせず、時間稼ぎをしているように見えます。しかし主イエスは、気が焦る彼らに対して、自らの行いを省みる間を取ろうとしているのです。
 しかし、彼らはそのことに気が付くこともありません。そのため、主イエスは、次に一つの言葉を発せられます。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(7)このイエスの問いかけは、この女に対する判決ではなく、律法学者とファリサイ派の人々に対して向けられています。主なる神さまは、行いばかりか、口から発せられる言葉、そして心の中までが罪の対象とします。神さまは、私たちの行動・発言ばかりが、私たちの心の中まで全てをご存じであられるため、主の御前に言い逃れることなど、誰も出来ないのです。そしてその基準が十戒で語られているのです。
 ですから律法学者やファリサイ派の人々は、自らの内の罪が問われた時、誰も彼女を罪に定める事が出来ません。そして、一人また一人とこの場から去って行きます。つまり、誰一人として、主なる神さまの御前にあって、無罪を主張することは出来ないのです。
 そして最後に主イエスと真ん中にいた女が残ります。この間、どれだけの時間があったでしょうか。30分位あったかも知れません。主イエスが、彼らに罪に対する悔い改めを求めていたことは、同時に、この女に対しても求めたのです。彼女は、もう石打の刑に処せられ、命が奪われることがありません。そして人々から蔑まされることもありません。さらに主イエスは彼女に罪の赦しを宣言します。これが救いであり永遠の命に繋がります。
 私たちの持っている心の病は、様々な原因があります。後ろめたさ、罪意識、ストレス、緊張などがあるでしょう。生涯、消えることのない心の傷を負った人たちもいます。
 しかし、主なる神さまを信じることは、@苦しみに対してはその重荷を取り除き、A人々との関係において、自分ばかりを責めることなく、誰も信じてくれないとしても、主が知っていて下さり、受け入れて下さいます。B罪の重荷に対して、罪の赦しと救いをお与え下さり、C死の恐怖に対して、キリストが十字架の死から復活されたように、復活し永遠の命が与えられることを宣言して下さいます。だからこそ、私たちの心の病は、いつでもまったくなく、元気でいることは出来ないにしても、主が解決して下さることを信じることにより、安心と平安が生じてくるのです。だからこそ、主を信じて、主にすべてを委ねて歩むことこそ、私たちにとって必要であり、求められていることなのです。

                                               (2006.6.18)
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