【クリスマスの説教】  「ヘロデ王とユダヤの王」  辻 幸宏牧師



マタイによる福音書2章1〜12節
  1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
  6 『ユダの地、ベツレヘムよ、
   お前はユダの指導者たちの中で
   決していちばん小さいものではない。
   お前から指導者が現れ、
   わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
  7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。



 先週国会では、防衛庁が省になる法案が可決し、続けて教育基本法が改正されました。いよいよ日本の国が、60年間守り続けてきた戦争を行わない国から戦争を行うことができる国に変わろうとしています。それは同時に、クリスチャンが平和を求めて、戦争に反対することが出来なくなると同時に、偶像である神社参拝が強要される時代へと向かうのです。平和と信仰の問題は別の問題のようですが、政府が行おうとすることは、これらのことを同時並行的に行うのであり、私たちも別々なことと考えていくことは出来ないのです。
 今日与えられた御言葉には、神の御子イエス・キリストの御降誕に関して語られています。当時のユダヤは、ローマ帝国が支配をしており、ユダヤは属国でした。それは、神の民とされていたイスラエルとしますと、バビロン捕囚以来の危機であり、独立することが悲願となっていました。そしてユダヤ人は、主が約束しておられるメシアは、ダビデのように政治的な指導者として、ローマからユダヤを解放する者であると考えていました。
 当時、ユダヤを治めていたのはヘロデ大王です。紀元前37年から紀元前4年までローマの後ろ盾にユダヤの王として在位したのです。彼はローマ人の信頼を得ようと努力し、ユダヤの秩序を取り戻します。一方、ユダヤ人たちにも取り入り、彼はユダヤ教に改宗いたします。彼自身はイドマヤ出身であり、純粋なユダヤ人ではなかったからです。これらは権力者に登り詰めるための知恵です。しかし同時に、ヘロデは身内であろうとも自らの王位を狙う者には厳しく対処し、容赦なく殺す一面もありました。そのため晩年は「殺意に満ちた老人」と呼ばれていたのです。
 救い主の誕生について示された東方の博士たちは、このヘロデ大王の所で「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と大胆に語ります。ヘロデ大王の噂は、周辺の国々の人たちも知っていたでしょう。従ってヘロデ王がユダヤ人の王が生まれたことを聞くとどの様な行動に出るかは想像できたでしょう。ここに真の信仰者、キリスト者としての姿を見ることが出来るのではないでしょうか。東方の博士は時間と労苦と費用をかけて、はるばる救い主の誕生を祝いに来ているのです。そればかりかヘロデ王を敵に回すのです。事実、彼らは、御子の誕生をお祝いすると、「ヘロデの所に帰るな」とのお告げを受け、ヘロデの所に寄ることなく帰国します。このように、権力者を恐れることなく、真の救い主を求め礼拝すること、信仰を貫くことがキリスト者の真の姿です。
 ヘロデは、「ユダヤ人の王が生まれる」ことにより、自らの地位が奪われることを恐れます。ユダヤ人の王=政治的な指導者として、ユダヤをローマから解放する者こそが救い主であるとの思いは、ユダヤ人全体、さらには主イエスの弟子たちも持っていたのです。
 しかし、東方の博士たちが誕生を祝い、礼拝に来た救い主は、そのようなスケールの小さな方ではありません。東方の博士たちは、わざわざローマの属国となったユダヤの王の誕生を祝いに来たのではないのです。主イエスこそ全世界の救い主であり、全世界の国々の上に立つ、力を有しておられるお方です。地上を支配する為政者の上に立つお方だからこそ、罪の裁きの故に滅び行く私たちを救いに導く力をも有しておられるのです。そして、私たちを救いに導くために、霊的な養いの場として教会を建て、一方にあって生活を築いていくために為政者をお立て下さっているのです(ウェストミンスター信仰告白第23:1)。
この権力を有しておられるお方が、真の救い主としての姿です。
 しかし、地上に立てられている為政者、今なお罪があるのであり、自らの権威・地位のために手段を選ばない人たちが出てくるのです。ヘロデ王のように血生臭い指導者が出てくるのです。しかし、主は、ただ彼らを自由に権力の座に置いておかれるのではありません。主は、彼らをもその罪の故に裁き、滅ぼす力も持っておられるのです。
 十字架の上で「ユダヤ人の王」と言われつつ息を引き取られたキリストは、最後の審判において、全ての罪を、そしてヘロデの様に主に逆らい、自らの地位・権力のために人を殺しをしたような指導者を裁き、滅ぼされるのです。そしてこのお方が同時に、主を礼拝し、主のために主の御言葉に聞き従う者立ちに対する救いをお与え下さるのです。
 だからこそ地上に立てられた教会は、地上にあって主の教えに反する政治が行われ、主の求めておられる平和が築かれず壊されようとする時、またキリスト者が神の救いを求めて礼拝しようとする時に妨げようとす行為に対して、主の道に反することを指摘し、改めさせていくことも、求められているのです。真の救いが示された者だからこそ、誤りを指摘し、悔い改めと主の道を示していく使命も与えられているのです。
                                              (2006.12.17)





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