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【受難節の説教】  「キリストの祈り、弟子たちへの祈り」  辻 幸宏牧師


  ルカによる福音書22章39〜46節

  39 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。40 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔43 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。44 イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕45 イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。46 イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」



 今年は、4月1日から受難節に入り、8日にイースターを迎えます。今日から祈祷会・礼拝・諸集会においてキリストの受難の道を御言葉から聞きます。
 主イエスは最後の晩餐を終えられてからオリーブ山(マタイ・マルコではゲツセマネ)で祈られます。主イエスは度々夜、山に登られ祈っておられました(5:16、6:12、9:18,28、21:27)。主イエスにとって、祈りとは天におられる父なる神さまとの対話です。父なる神さまが御計画されたことを遂行するにあたり、主の御前に祈られます。
 主イエスは山で祈られる時、時として弟子たちを伴われます。そして今回も弟子たち(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)を伴われます。真実の祈りを伝えるためです。主イエスは言葉において祈りについてお教えくださっていました(主の祈り:マタイ6:5-15、ルカ11:1-4)。しかしこれは講義であり頭に知識を蓄えることに過ぎませんでした。しかし真実の祈り、真実の信仰は、頭で蓄えるだけではダメなのです。真実、神との霊的な交わりとしての祈りでなければなりません。それを主イエスは弟子たちに伝えるために、弟子たちを連れて行かれたのです。これは私たちの信仰生活でも同様です。礼拝で、そして学び会で聖書・神学の知識を蓄えます。しかし、知識の蓄積は信仰ではありません。教えられたことが、信仰生活において生かされなければなりません。
 主イエスは、十字架を前にして、御自身が一番苦しい時に、主の御前に祈るとはどういうことであるのかを、弟子たちにお示しになられているのです。知識に対する実践です。弟子たちにとっては、この時、半分寝た状態で、主イエスの姿はかすかにしか覚えていないことでしょう。しかしそれでも、主イエスが死から復活された後、聖霊に満たされて祈り始める時に、主イエスの祈りの姿を思い出し、祈ったのではないでしょうか。
 主イエスは、弟子たちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」(40)と語られます。主の祈りで言えば、第六の祈願「我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」です。試み・試練・誘惑は、私たちに襲いかかるものです。特にこの時、主イエスの中には、御自身が逮捕・裁判・十字架を歩まれようとする時の弟子たちの試練、特にペトロに待ち受ける主イエスを否定する試練が念頭にあります。この時、弟子たちは、自分の頭で考え、恐怖を覚え、主イエスを否定し、逃げていきます。しかし主イエスは、頭で考える前に主に祈りなさいと、お語りになられているのです。これが主なる神さま中心の信仰生活です。直感で行動する前に、立ち止まり、主に全てを委ねて祈りなさいと語っておられるのです。出エジプト記14章においても、葦の海を前にしたイスラエルに対して、主はモーセを通して、立ち止まり、落ち着くこと、静まることを求めておられました(出エジ14:13-14)。
 直感的に動く、それは、自分の力で行動しているのです。そこには「自分」という力を信じて行動しているのです。そうであってはならないのです。まず、立ち止まり、主に全てを委ねて祈ることからしなければなりません。試練は必ず私たちを襲います。しかし同時に、主がその試みにより、私たちの信仰を鍛え、試みを乗り越える力をお与えくださいます(Tコリント10:13)。
 そして主イエスは祈られます。「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。」(42)。この様に私たちも祈るのではないでしょうか。この様に祈ることを主はお許しくださっているのです。しかしこの祈りは通常、私たちの人間的な思いであり、時として欲望に満ちたものになります。これは最良の判断ではありません。自己中心の判断であり、私たちが苦しい時に自分の力で直感的に行動することと変わりありません。
 そうではなく、主に委ねるのです。「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(42)。主は、全てを御計画されているのであり、私たちの最良を知っておられます。そして最良な状態にお導きくださいます。だからこそ、「主の御心」=「主の御計画」のとおりなるよう、また主の御心に従いますとの祈りが求められるのです。
 主イエスは、御自身が主に祈り求めていると同時に、弟子たちに本当の祈りとは何であるかをお示しくださいました。
 私たちも、主の御前に、祈りをお献げいたしましょう。


                                               (2007.3.21)


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