【クリスマスの説教】  「幼子を祝う者たち」  辻 幸宏牧師



ルカによる福音書2章8〜20節

  8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
  14 「いと高きところには栄光、神にあれ、
    地には平和、御心に適う人にあれ。」
  15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


T.不安な社会に与えられる喜び
 主は、私たちの生活を、2007年も守り導き下さり、クリスマスの時を迎えさせて下さいました。主の豊かな恵みに感謝します。しかし同時に、経済的には物価・年金等、先行き不透明となりつつあり、日本社会に多くの方々が不安を持っているのも現実です。個人的に試練の中にある方々もあるでしょう。そのため、クリスマスだからと言って、正直な所、心からの喜びに満ちあふれることが出来ない部分も私たちは兼ね備えているのです。
 さて、今日与えられた御言葉には、羊飼いたちについて語られています。羊飼いたちは、ユダヤ社会の中で市民権を持たず、病人や罪人と同じ扱いを受け、社会の底辺に位置づけられていました。そのため将来的な大きな希望はなく、毎日、羊の世話をして、生きていくのにやっとであったのです。彼らは、旧約聖書に記されていた救い主による救いに導かれることなど考えられず、ユダヤ人社会から隔離された世界に生きていたのです。自分たちは救い主とは無関係である、自分たちは救われるべき人間ではないと思っていたのです。
 その羊飼いの所に主の天使が近き、御子の御降誕を知らせます。すると彼らは、すぐさま天使の言葉が真実であるかどうか確かめるために、出かけるのです。それは、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」のであり、主による救いが語られたからです。
 私たちは、救い主の誕生を自分自身のこととして、自分の仕事から離れ何よりも優先して行うべきこととして覚えているでしょうか。救い主の誕生は、私たちに救いが与えられた喜びです。何を差し置いても救い主の誕生を確認すべき私たちの人生にとって一大事の出来事が起こったのです。

U.救いは示される
 羊飼いたちは、どれだけの距離を走ったことでしょうか? 数時間か、数日か、聖書は記しません。しかしその間、羊飼いたちは、救い主に出会うために足を速めます。明日の希望もなく、日々、羊飼いの仕事に追われていた者たちが、救い、永遠の生命の希望に満たされるのです。生きる目的、目標を持って生きる者へとされるのです。
 主が示される希望は、宛もなく探し回る事ではありません。主が示される時、羊飼いたちは確かに主による光に照らされ、幼子としてお生まれになった救い主を捜し当て、出会うことが出来るように導かれているのです。そして、羊飼いたちが急いで行くと、マリアとヨセフ、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を捜し当てたのです。そのため羊飼いたちは、神をあがめ、賛美する者へと変えられたのです(20)。救い主と出会うことは、希望なき人生が、救い主を喜び・希望を持って生きることが出来る者へと変えられるのです。

V.私たちに示される救いの希望
 今、試練の中にある者もあるかと思いますが、私たちにとって救いの希望は揺るぎないものなのです。羊飼いたちが救い主に出会うことによって得た救いの希望は、今私たちに示されているのです。試練のため希望が失われたり、逃げていったわけではありません。
 羊飼いたちは、乳飲み子に出会うしるしが示されました。私たちはどうでしょうか? キリストは、十字架にお架かりになり、苦しまれ、死を遂げ、葬られました。しかしキリストは、それから三日目の朝に復活され、人々の前に現れます。復活されたキリストは、使徒たちばかりか、多くの人々の前に現れ、死から甦られたことを示されたのです。これこそ私たちに与えられたしるしです。
 このしるしを、今なお、多くの人々が信じることが出来ないのですが、紛れもなく真実であります。主イエスの復活を信じることの出来なかった使徒トマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ・・、わたしは決して信じない」と語ります(ヨハネ20:25)。しかしそのトマスに対して主イエスは現れて下さいました(同20:27-29)。
 キリストが十字架の死から復活されたことが私たちに与えられたしるしであり、希望です。それはキリストが私たちの罪を背負うて十字架にお架かり下さったからです。そしてキリスト復活により、私たちは肉体の死を遂げても、復活し、神の国に入れられる希望が約束されているのです。信仰により永遠の生命の救いが約束されているのです。
 だからこそ、私たちは、地上の生涯の中にあって、苦難や試練の中にあっても、主による希望に生かされ、主を喜び、誉め称え、礼拝し、賛美し続けることが出来るのです。


                                              (2007.12.23)





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