【クリスマスの説教】  「言葉の内にある光」  辻 幸宏牧師



ヨハネによる福音書1章1〜5節、14〜18節

  1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2 この言は、初めに神と共にあった。1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

  1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。1:18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。



T.世界を支配する闇
 日本漢字協会が発表しました今年の漢字は「変」でした。劇的な一年でした。一年の終わりを迎え、新年を迎えることが出来るのかと切羽詰まっている方々もいます。主の御手がそうした人たちに及び、今日の宿・今日の食事が与えられることを、切に祈ります。それしか出来ません。今、世界中が深い闇に閉じこめられ、光を求めています。今日は、まず「闇」に焦点を合わせてみたいと思います。
 第二次世界大戦が終了して63年が経ちますが、この間、地域的には戦争・迫害・自然災害・経済的な危機などはありましたが、人々は全世界的な闇を忘れていました。それ以前は、伝染病(ペスト、インフルエンザ等)、二度の世界大戦、世界恐慌などが世界を闇に包みました。つまり人々にとっては死の恐怖を覚えつつ、日々生活していたのです。そして、闇が世界を支配している時、人々は光・希望を望みます。そして今、世界中の人々がこの光を探し求めているのです。

U.言葉によって動く世界
 一方、今年は言葉に力が失われたことが顕著に表れた年でもあったと思います。言葉に力があるのは、語られた言葉・書かれた言葉が真実であり、実際に実行され約束が守られる時です。しかし、今、インターネットなどで、人々は自ら責任を持たない言葉が発せられ、吐き捨てられています。政治も然り。派遣切りに見る契約も然りです。契約破棄は、言葉の信頼を一番失わせることです。それは、人々が自分勝手に語り、自分の基準で物事を判断するからです。それは、相対的であり、言い逃れ・無責任が生じます。

V.私たちを照らす光
 しかし主なる神さまが語られる言葉、つまり聖書の言葉には、力があります。
 主が天地万物の全てを、ただ言葉において、六日間に秩序正しく作られました(創世記1章)。つまり主なる神さまが発せられる言葉には力があり、全世界の規準となりました。それは主なる神さまが、言葉そのものだからです(ヨハネ1:1)。そのため主が語られる言葉に、嘘も裏切りもありません。主の約束、預言は、必ず成就されます。だからこそ、全ての人々が主の言葉に耳を傾けなければならないのです。
 そして言葉そのものである神さまが、肉を取られ、人となられました(1:1,14)。人となられた御子は、父なる神さま、主なる神さまと等しい栄光に満ちた神さまです。
 三位一体と言う言葉がよく用いられますが、父なる神さま、御子、聖霊なる神さまこそが、三位一体なる神さまです。三つの異なった働きをなさりますが、主なる神さまとしての一つの人格を持っておられる一人の神さまです。
 言であり御子なる神さまである方が、2000年前のクリスマスの夜に人としてお生まれになったイエス・キリストです。全世界の人々が、クリスマスをお祝いするのは、自分たちが楽しむためではなく、クリスマスの夜にお生まれ下さったイエス・キリストこそが、真の神さまであり、真の救い主だからこそ、感謝しつつ喜ぶからです。
 御子イエス・キリストこそが、闇を照らす光です(4)。そして御子によって語られる御言葉に、私たちに希望を与える光があります。

W.キリストは私たちの光
 では、キリストはどのようにして私たちの光となりうるのでしょうか。キリストは、この様にお語りになられました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)。つまり、キリストを信じることにより、父なる神さまの御許、つまり天国へ行くことが出来るのです。
 そしてキリストは、私たちが肉体の死をもってすべてが終わるのでないことを示すために十字架にお架かり下さいました。キリストの十字架の死は、私たちが背負わなければならない死です。闇の中歩み、神さまの御前に罪を犯していた私たちの姿です。キリストは、この私たちの死を背負うて十字架にお架かり下さったのです。
 そればかりか、キリストは十字架の死から三日目に復活を遂げ、そして天の昇られました。キリストは、今、父なる神さまの右に座しておられます。
 キリストを信じる者は、キリストが再臨された時、キリストと同じように復活の体が与えられ、主なる神さまの御許に行き、永遠の生命が与えられるのです。ここにこそ、この世では闇に包まれ、死の恐怖に生きる私たちに与えられる光があります。人の言葉は、破られ反故にされることもありますが、主がお語りになる言葉には、偽りはありません。


                                              (2008.12.23)


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