【クリスマスの説教】  「主に感謝」  辻 幸宏牧師



詩編146編


146:1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
146:2 命のある限り、わたしは主を賛美し
    長らえる限り
    わたしの神にほめ歌をうたおう。
146:3 君侯に依り頼んではならない。
    人間には救う力はない。
146:4 霊が人間を去れば
    人間は自分の属する土に帰り
    その日、彼の思いも滅びる。
146:5 いかに幸いなことか
    ヤコブの神を助けと頼み
    主なるその神を待ち望む人
146:6 天地を造り
    海とその中にあるすべてのものを造られた神を。
    とこしえにまことを守られる主は
146:7 虐げられている人のために裁きをし
    飢えている人にパンをお与えになる。
    主は捕われ人を解き放ち
146:8 主は見えない人の目を開き
    主はうずくまっている人を起こされる。
    主は従う人を愛し
146:9 主は寄留の民を守り
    みなしごとやもめを励まされる。
    しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
146:10 主はとこしえに王。
     シオンよ、あなたの神は代々に王。
     ハレルヤ。



序.
 今日は、今年最後の主の日として、今年一年を振り返りながら、主への感謝の思いで、御言葉に聞こうと思います。

Ⅰ.ハレルヤ
 詩編146~150編は、「ハレルヤ詩編」と言い、「ハレルヤ」で始まり「ハレルヤ」で終わります。「ハレルヤ」とは、「主を讃美する・主を誉め称える・主を感謝する」と言った意味です。しかし私たちは、私たち自身がどのような思いで「ハレルヤ」と語るのか、また私たちが「ハレルヤ」と語る主をどのような方として信じているかが、問われて来ます。
 詩編は2行目で「わたしの魂よ、主を賛美せよ」と語ります。ここに詩編の作者の全ての思いが込められています。「魂」とは全人格です。つまり心の中、言葉において、あるいは頭の中で思うような、狭い意味ではありません。つまり私たちが「ハレルヤ」と語る時、私たちの生き方そのものが主を賛美する生き方となっているかが問われてきます。
 私たちは今生きること自体が主からの賜物です。そして全ての事柄、全てのものが主からの恵みの賜物です。だからこそ私たちは主の御前に生きるのです。
 ウェストミンスター小教理では次のように語ります。
  問1 人のおもな目的は、何ですか。
  答  人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。
 そして問1の引用聖句であるⅠコリント10:31では、「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と語ります。
 つまり、私たちが「ハレルヤ」と語る時、主なる神さまを全面的に信じて、神の加護、神の救いにあることを信じるのです。完全服従でなければなりません。そうであれば、私たちの信仰生活そのものが、主の御声に聞き従うものへとなるのです。主の招きによる礼拝に集う、主の語っておられる御言葉に聞く、主が聞き届けて下さるため信頼して祈り、主の御栄光を讃えるために準備して奉仕を献げるのです。それが2節で語ることです。

Ⅱ.為政者
 しかし、自分や家族のことを思うと、主に全幅の信頼と信仰を表し、「ハレルヤ」とは言えないと語られる方も多いかと思います。試練に遭えば「なぜ」と言うことばかりです。
 しかし、だからといって私たちが他に求めるべき神はいません。為政者が神に代わることは出来ません(3)。この冬、多くの途方に迷っている人々がいます。私たちは祈ることが出来ない弱さを覚えます。主によって託された使命は、彼らに救いの手を差しのばすことです。しかし残念ながら、救援は十分ではなく一時しのぎであり、さらにそこから漏れる人も多くあります。為政者自身、弱さを覚えるべきです。また、自らの世界のみを見渡し、暢気にしている為政者もいるのです。彼らは自らの権力と名声を求め、人々の生活を顧みなることが出来ないのです。人々の苦しみの声が彼らに届かないのです。
 つまりどれだけ素晴らしい為政者の前にあっても、人々は命がつきて、死んでゆきます。そうでなければなおさらで、為政者が魂の救い・平安を与えてくれることはありません。

Ⅲ.主なる神さま
 しかし、主は生きて働き、私たちをお見捨てになることはありません。詩編は「幸いなことか」(5)と語ります。私たちが「ハレルヤ」と賛美する主は、救い主です。アブラハムを選び、ヤコブとその家族を救い出して下さいました(5)。主は、クリスマスの夜、救い主をこの世に賜り、キリストは私たちの罪の償いのため十字架にお架かり下さいました。
 また、主は創造主であり、主の御計画のうちに全ての歴史を司られる摂理の神です。そして摂理のうちに、天地万物を今もなお統治しておられる神です。
 また主は真・義・善なるお方であり、己が罪を忘れ、人々の苦しみを顧みない人々の罪を見過ごすことは出来ない審判者でもあります。
 ここには虐げられている人々を顧みられる神の愛があります。主はエジプトで奴隷であったイスラエルを救い出して下さいました。バビロンにおける少年たちも主の加護の内にあり、高炉や獅子から守られました。
 また主イエスは、病人を癒され、悪霊に取り付かれた人から悪霊を追い払い、5000人の人々の空腹を満たされました。また主イエスは、目の見えない人の目に泥を塗ることにより目を開かれ、足が不自由な人の足を癒されました。主は、主に従い行く人と、常に共にいて下さり、祈りを聞き遂げ、守り、支えて下さいます。
 そして主はとこしえに王であられます。主イエスが再臨し、主なる神さまを信じる全ての民を引き上げ、神の御国に導いて下さいます。神の御国における祝福の讃美が私たちに与えられます(黙示録14:1-7)。だからこそ、私たちは、試練や艱難の中にあろうとも、主の恵みに生かされ、生活が守られ、必要が満たされていることに心から感謝しつつ、新しい年も全てを主に委ねて、「ハレルヤ」と讃美しつつ、歩み続けたいものです。


                                              (2008.12.28)


COPYRIGHT(C) 2008 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る