【2009年新年礼拝説教】  辻 幸宏牧師

「実現した事柄」  ルカによる福音書1章1~4節



ルカによる福音書1章1~4節
  1 -2わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。3 そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。4 お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。



序.
 新年、あけましておめでとうございます。新しい年も、主の御前に私たち一人一人が集められ、主に礼拝を献げることにより、一年を始めることが許され、主に感謝いたします。

Ⅰ.神の国を目指す仮の宿
 加納教会では会堂建築に入り、文字通り、仮の宿で礼拝を始められましたが、仮の会堂であることは、新しい会堂が与えられる希望に満ちていると言うことです。
 このことは、地上の朽ちる肉をまとっているこの世における歩みを続けている私たちにも言えることです。最終的に私たちが目指し、また主なる神さまがお与え下さるのは、神の国です。神の国では、朽ちず、汚れず、変わらない永遠の生命が与えられています。この神の国に対して、この世における歩みは、あくまで仮の宿です。永遠の生命が与えられる希望があるからこそ、たとえ試練や艱難があったとしても、それを乗り越えることが出来るのです。そしてこの神の国の希望を求めるために、私たちは神の御言葉に聞き続けなければなりません。
 さて、大垣教会の今年の標語は、「主の言葉によって生きる」です。昨年が、「信仰による喜びに満ちあふれる」であり、ウェストミンスター小教理問1に従った標語でしたが、今年は問2に従った標語です。私たちが信仰による喜びを持つことが出来るのも、永遠の生命の希望を持つことが出来るのも、御言葉によって示されているからです。
 ウェストミンスター小教理問答の問1、問2は、ウェストミンスター信仰規準(信仰告白・大教理・小教理)全体の扇の要に位置すると言っても良いでしょう。
 ウェストミンスター信仰告白区分をプログラムの裏に印刷しておきました。これは信仰告白を中心に記していますので、小教理では多少異なりますが、参考にすることが出来ます。右側にキリスト者の生、つまり私たちの信仰生活に関する部分があり、真ん中に私たちと神さまとをつなげる教会があります。そしてその源は聖書です。そして中心に位置する聖書は、神さまはとはどういうお方か、神さまは私たちをどのように救われるのか、私たちの信仰生活はどうすればよいか、教会生活はどうすればよいのか、そして私たちはどこへ行くのか、を私たちに教えます。

Ⅱ.実現した事柄、私たちに実現する事柄
 パウロの忠実な同労者であったルカはティオフィロに福音書を書き記し、永遠の生命の希望を伝えようとしています。この時ルカはこれは「わたしたちの間で実現した事柄」だと語ります。つまりルカが記そうとしているのは、イエス・キリストの御業です。つまりルカは、昔の資料や伝聞を手がかりにイエス・キリストの伝記や物語を書き記すのではなく、ユダヤ人であれば皆が知っている事実を書き記すと語っているのです。ルカはパウロの同労者でありアンティオキア出身の異邦人です。ティオフィロもローマ帝国で地位のある人物であったとされています。つまりルカは、異邦人であり、直接的にはイエス・キリストによって実現した事柄を知らない者でも理解できるよう、福音書を書き記すのです。
 さらにルカは、「多くの人々がすでに手を着けています」とも語ります。これはマルコやマタイ・ヨハネの各福音書も含まれるかも知れませんが、聖書に留められることはないイエス・キリストの御業の記録、特に十字架と復活を留めた個人的な記録も多くあったことを語っています。
 つまりクリスチャンとして必要なことは、神の御言葉である聖書から聞くことですが、同時に聖書が記すイエス・キリストの御業は歴史的な事実であるということです。そしてこのイエス・キリストの事柄は、今私たちに語りかけています。イエス・キリストの十字架と私たちの信仰との関わりなど、私たちに迫ってくるものがなければならないのです。
 またルカが「わたしたちの間で実現した事柄」と語る時、実現するまで待っていた人々があるということです。つまり、ユダヤ人たちは旧約聖書に記されている預言としてメシアを待ち望んでいたのです。この預言が、イエス・キリストによって実現したのです。つまり、私たちが神の言葉として聖書を読もうとする時、聖書が啓示の書であることの認識が必要です。それは旧約の時代の預言がイエス・キリストによって現実したと同時に、旧約の預言、イエス・キリストによって語られた約束は、私たち自身に実現する事柄として語られているのです。つまり、私たちは聖書を神の言葉として読むことが求められていますが、2000年前のイエス・キリストの物語として読んでいるだけではいけないのです。イエス・キリストが御言葉を語り、奇跡を行い、十字架の御業を成し遂げられた、それらの事柄が、私たちに対してなされているのであり、私たちは応答することが迫られています。
 またルカは、この福音書を順序正しく書き記します。ルカは多くの資料を手にして、またパウロ先生からも多くのことを聞き続けていたことでしょう。一つの御言葉、一つの奇跡、それぞれが私たちに何を語りかけようとしているのか。罪の指摘と、罪の赦しと救いの二つが語られることには違いありませんが、そのポイントは異なります。ルカは、それをイエス・キリストの歩まれた順番も鑑みつつ、読む私たちに理解しやすいように記していくのです。私たちが聖書を読む時、私たちはその箇所その箇所においてそのポイントを確認しておかなければなりません。私はこのウェストミンスター信仰告白の秩序に従って確認することによって、非常に理解を深めることが出来るようになりました。
 だからこそ、私たちは、まずどのような時にも聖書に親しみ、主が私たちが仮の宿から御国に行くために、何を求めておられるのかを適切に聞き・解釈することにより、より神の御国の救いの喜びが増してくるのだと思います。
 主の御言葉によって生かされる歩みを行っていきたいものです。

                                              (2009.1.1)


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