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【受難節の説教】  「ペトロの過ち」  辻 幸宏牧師


  マルコによる福音書14章66〜72節

  66 ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、67 ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」68 しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。69 女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。70 ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」71 すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。72 するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。



T.大祭司の家の周りに集う人々
 主イエスは逮捕され、大祭司の家で最高法院の裁判を受けています。祭司長、長老、律法学者たちは、主イエスを殺したいと常々考えおり、主イエスを逮捕し、裁判にかけて死刑判決を下すことが出来るとあって、殺気立っていたのではないでしょうか。
 そして、この情報は人々にも伝わっていました。夜中でありますが、過越祭の祭りの一番の盛り上がりを迎える時です。町に繰り出していた人々も少なくは無かったでしょう。そして人々の関心は、次の日の朝に誰が十字架に架かるかということです。つまり、主イエスは昨日までは人々の注目の的でしたが、しかし今は、この主イエスが十字架に架けられるのかということに人々は注目していたのです。
 そうした中ペトロは、逮捕された主イエスが気になり、遠巻きに大祭司の家の中庭に入り、様子をうかがっていたのです。他の弟子たちが逃げてしまいましたが、ペトロは違っていたのです。ペトロは最後の晩餐の時、主イエスが語られた言葉(14:27,30)を心に留め、また自らが主イエスに語った言葉(14:31)を忘れることはなかったのだと思います。

U.ペトロの最初の失敗
 しかし主イエスが予告されていた時は突然訪れます。鶏が鳴く前の朝方です。ペトロは緊張の中、一晩を過ごしていたことでしょう。大祭司や長老・律法学者たちがペトロに近寄ってきたのであればペトロも身構えたことでしょう。しかしペトロに近寄ってきたのは一人の女性です。彼女は、主イエスと共にいたペトロの姿を見ており、覚えていたのです。彼女はペトロをじっと見つめます。まだ夜明け前、ペトロがあたっている火のみが頼りです。彼女はペトロを確認し、確信したからこそ、「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と語ったのです。ペトロは、不意を突かれました。そしてとっさに女性の言葉を打ち消したのです(68)。一度、否定してしまうと、続けて否定してしまうのです。
 私たちがクリスチャンであるのは、教会に来ること、教会において礼拝している時だけがクリスチャンであるわけではありません。主なる神さまは、いつも私たちと一緒にいて下さり、私たちを見守り、私たちを救いに導いて下さっています。だからこそ聖書は「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(Tコリント10:31)と語ります。だからこそ、私たちは、どの様な状況の中にあっても、主なる神さま、主イエスを否定するようなことになってはならないのです。

V.ペトロの三度目の失敗
 ペトロは二度失敗を繰り返し、気が動転して、主イエスの語られた言葉をまったく忘れたことでしょう。だからこそ、しばらくして別の人たちから「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから」と語られた時、呪いの言葉を口にするのです。
 キリスト者が誓うことは許されています。しかし誓いが偽りであれば、神の裁きを受け入れるものとして、神を誉め称え、礼拝する者として誓わなければなりません。しかしペトロの誓いは、呪いによる裁きを受け入れるものです。彼としては「誓いをしてまで語ることだから、自らの語ることにうそ偽りはない」と受け取ってほしい言葉でありました。しかし、このことは目の前にいた人々には見破られ、それ以上に誓いをおこなった主なる神さまに対する大きな罪です。まさに主による裁きにより滅ぼされる者となったのです。
 するとすぐ、鶏が再び鳴いた(72)。ペトロは、ここで初めて主イエスの言葉を思い出したのです。そして、主イエスの御前に頭を上げることが出来ません。そればかりか、主による呪いの裁かれる者となったことに対して恐ろしさも出てきたのではないでしょうか。
 しかしペトロの行ったことは、決して特別なことではありません。私たち自身、ペトロと同じような失敗を繰り返すのです。

W.主イエスの愛
 主イエスは、ペトロの失敗を予告され、ペトロが失敗したことを知りつつ、十字架に架かられ、死を遂げられます。そしてキリストは、死から三日目の朝に甦り下さいました。そして復活されたキリストは、再びペトロの前に立たれます(参照:ヨハネ21:15〜19)。
 キリストの十字架は、ペトロのこの罪に対する罪の償いを行うためでした。そしてそれ以上に、キリストはペトロを神の子として、教会の指導者としてお立て下さい、さらにペトロが迫害の死に至るまで、神の僕としてキリストに仕えるものとされることをお約束して下さるのです。このキリストの十字架は、ペトロと同じように失敗し、主の御前に罪を犯す私たちの罪を償うためでもあります。そしてキリストを信じる私たちを、神の子として、愛して下さり、祝福のうちに入れて下さっているのです。
                                               (2010.3.28)


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