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【受難節の説教】  「渇く」  辻 幸宏牧師


  ヨハネによる福音書19章28節〜30節

  19:28 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。:29 そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。30 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。




T.「成し遂げられた」
 私たちは十字架に架けられた主イエスのお姿を目で思い浮かべます。しかし今日与えられた御言葉では、主イエスの十字架の姿よりも、主イエスが語られた言葉に注目致します。つまり主イエスが語られた言葉の意味をしっかり理解することが大切です。
 「この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた」(28)。「すべてのことが今や成し遂げられた」と訳されますと、納得してしまうのですが、「萬の事の終りたるを知りて」、「今や万事が終ったことを知って」、「すべてのことが完了したのを知って」と訳されてきた言葉です。
 主イエスは、御自身が人となられ、地上において行わなければならないことをすべて知っておられたのです。逮捕され、十字架に架けられる時も知っておられたのであり、1週間前にエルサレムに上ってこられましたが、翌日には、「 今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ」(12:27)と、苦しみを告白されていたのです。
 ですから「万事が終わった」とは、まさにすべてをやり終えたことを語っているのであり、絶望を語る言葉ではありません。そのため「成し遂げられた」と訳されているのは、主イエスの御意志がはっきりと示されている訳となっています。

U.謙卑から高挙へ
 主イエスは地上における生涯を終えます。母マリアの子として宿られ、人として律法に仕えて来られました。フィリピ書2章には有名なキリスト賛歌が記されています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです」(フィリピ2:6-11)。キリストは死に渡され陰府に下られますが、死を遂げられることにより、低い状態・苦しみから解放され、高い状態・神の栄光に包まれることとなるのです。ですから私たちは、「成し遂げられた」と主イエスが息を引き取る直前に語られた言葉は、罪人の贖いが完成し、神の栄光の喜びに入れられることをはっきりと見据えて語られていることを忘れてはなりません。つまり、敗北の言葉ではなく、勝利の喜びを心に秘めた叫びであります。

V.「渇く」・・私たち自身の渇きを満たしてくださる主イエス
 さて、主イエスは「成し遂げられた」と語る前に「渇く」という言葉も発せられました。主イエスは、最後の晩餐以降、ゲッセマネの祈り、逮捕、裁判、鞭打ち刑、そして十字架を背負って丘に登り、十字架に架けられるのです。20時間近くの時間、キリストは極度の緊張状態にありました。肉的に喉が渇いていたのは間違いありません。しかし私たちは、それだけの言葉としてこの言葉を理解していてはなりません。すでに「成し遂げられた」という言葉を理解する時、高い状態、神の栄光の状態を見据えていたことを確認しましたが、「渇く」と言う言葉からも、私たちは、そのことを確認することが出来るのです。
 ヨハネ福音書4章で、サマリアの女の信仰について記されていました。この時、主イエスは「水を飲ませてください」とサマリアの女に声をかけることから、話しが始まります。しかし話しが展開していく段階で、主イエスはサマリアの女から井戸の水をもらい飲むことせず、むしろサマリアの女の方が、永遠の命に至る水を得ようと、主イエスに願い、主イエスから救いを得る者となっていくのです。つまり、主イエスが「渇く」と語られた時、サマリアの女が理解したように、私たち自身が霊的な渇きにあることを理解しなければなりません。そして、主イエスに永遠の命の泉を頂けるように願い求めなければなりません。
 私たちは、今、キリストの十字架を心の目で仰ぎ見ます。そして主イエスの発せられた言葉に聞きました。「渇く」と発せられる時、霊的な渇き、永遠の生命の渇きにあることが示されています。特に今回の地震において、私たちは憂い満たされているように思っていましたが、実はそうではないことが示されたのです。そして十字架に架けられたキリストを信じ、キリストに繋がる時、「成し遂げられた」と語り、栄光に入れられるキリストに私たちもつながり、永遠の生命があることが示されているのです。

                                           (2011.4.22)


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