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【特別伝道集会の説教】  「今何が出来るか」
~こんなに小さく無力な私たちを、神さまは愛して下さっている~ 辻 幸宏牧師


  マルコに夜福音書6章47~51節

  47 夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。48 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。49 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。51 イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。


  マルコによる福音書10章13節~16節

  13 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。15 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」16 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。



Ⅰ.自然と神さまの統治
 3月11日を境に、私たちの生活・生き方は、以前とは違ったものになった人も多いかと思います。生きるとはどういうことか、何をすればよいのか、迷い続けている方もいるかと思います。自然を前に、人間の小ささ、何も出来ない歯がゆさを持っておられる方もいるでしょう。すべてを創られ、すべてを支配しておられる主なる神さまは、私たちに何を求めておられるのかを、皆さまと一緒に確認していきたいと願っています。
 自然災害であるとの割り切った考えの人もいますが、主なる神さまは自然をも支配しておられるのであり、今回の震災に関しても神さまが関わっておられるのです。なぜ神さまはこの様な災害を引き起こされたのかとの疑問に駆られます。自然は一日の周期、一年の周期があり、雨の日があれば晴れの日もあります。夏は暑く台風もあり、冬は雪も降ります。そして例年以上に雪が降れば異常気象で言いつつ、自然の範疇にあると理解します。
 地震も同じです。今回の地震は想定外であったことが語られますが、一方にあっては千年前、二千年前にも、今回と同程度の津波が発生した跡が発見され、報告されています。今回のようなプレート境界で発生する地震は、100~1000年の周期で発生することが分かってきているのです。東海地震が近いと言われているも、プレート地震だからです。一方、この地域では120年前に濃尾地震がありました。阪神大震災は16年前です。これらの地震は活断層が動いたとされています。活断層は1000~1万年周期で動くと言われています。つまり大震災と呼ばれるような大きな地震は、1000~1万年といった周期です。私たち人間が生きる時間からすれば、一生に一回あるかないかのような大きな災害ですが、なおも自然の秩序の中で発生していると言えるでしょう。
 しかし同時に、主なる神さまは天地万物のすべてを支配しておられる事実を忘れてはなりません。神さまの介在を抜きにして自然を語ってはいけません。つまり主なる神さまは六日の間に、すべてのものを秩序正しく創造されました。秩序正しい自然は、主なる神さまが創造の時に定めて下さったのです。また主なる神さまは、自然秩序を超えても働くこともお出来になります(参照:マルコ6:47~51)。つまり、自然の周期の中に今回の地震はありますが、神さまがそれを良しとされなければ、それを止められることも神さまには可能であったのです。しかし神さまはそれをされず、大震災が発生したのです。

Ⅱ.地震と向き合うことが求められている私たち
 ではなぜ、神さまはこのようなひどいことを行われたのか? 神さまは恐ろしい方なのか。私たちを脅しておられるのか?そうではありません。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。神さまは、人々が死んでいくこと、滅んでいくことを望んではおられず、かえって悲しんでおられるのです。
 私たちは震災が発生し、被災した人々のことに心が行き、心配しますが、主なる神さまは、今回の震災を通して、主の御前に立っている私たち自身に問いかけておられるのです。神さまは、私たち自身に①神さまを忘れて畏れていないこと、②自己中心の生活をして隣人を顧みないことの「罪」があり「おごり」があることを指摘されているのです。神さまはノアの洪水のよう(創世6~9章)に天地万物を滅ぼすこともお出来になるお方です。しかし主は「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」(同8:21)とお語りになった言葉どおり、すべての裁きを猶予して下さっているのです。主の警告に私たちは自らを省みる必要があります。
 多くの方々が被災地に入り、ボランティアを行っています。苦しんでいる人と共に歩み、苦しみを分かち合うことは非常に素晴らしいことです。しかし自分の思いを沈め、自己満足のためボランティアを行っている人が少なからずいます。自然災害を前にして何も出来ない自分を否定するかの如く、自分がボランティアをして、人を助けたという実績に満足しようとしているのです。

Ⅲ.今、悔い改めと信仰が迫られている!
 では主なる神さまは私たちに何を求めているのか?何も出来ない自分を受け入れ、すべてを支配し滅ぼすことの出来る主なる神さまがおられることを受け入れ、信じることです。
 ノアの時代の人々と同様に、本当ならばすべてが裁かれても良い状況の中、主は約束を守られ、すべてを滅ぼされることを猶予して下さったのです。私たちが主の御前に立つ機会を、主はお与え下さったのです。だからこそ、主の御前に立つ私たちは、主の御前で、自らの姿を悔い改め、生きて働く主なる神さまを受け入れ、信じ、礼拝しなければならないのです。
 マルコ10章で、主イエスの所には弟子たちと共に多くの人たちが子供を連れて集まってきておりました。子供は、黙ったまま静かにしていることなど出来ないのです。歩き回り、声を出します。そうなればイエス様が人々に対して語られる時に邪魔になると弟子たちは思い、人々を叱るのです。弟子たちにとっては、良きことを行っているとの思いがあったことでしょう。しかし主イエスは、弟子たちの行動に憤りを持たれます。そして、主イエスは、「神の国(天国)は子供のように受け入れる人でなければ、決してそこに入ることは出来ない」とお語りになります。子供のようにとはどういうことか? 計算して、納得して行うことではないのです。本能的、無邪気にです。自分には何が出来る、出来ない、そうしたことを計算しないのです。自分が何も出来ない存在であることすら理解していないのですが、子どもたちは本能的に親にすべてを委ね、頼り切っているのです。父親と母親が自分を守り、育ててくれることを本能的に理解しているからです。そしてこの場においても、イエス様の所に近寄ってくるのです。イエス様によって救いと祝福が与えられることを本能的に理解しているからです。
 私たちに求められていることは、こういうことです。生きて働く主なる神さまの御前に私たちは今、立たされているのです。主なる神さまの御前に、そして主がお造りになり支配しておられる自然を前にして、私たちは自分では何も出来ない小さな存在であることを、まず自覚し受け入れなければなりません。地震で苦しんでいる人たちに対しても何も出来ないし、出来たとしても一時的で、小さなことに過ぎないのです。
 それに自分が何か出来るという妄想を捨てることです。人間は、原子力を制御出来ると信じて、「平和的に利用できる」と語りつつ、原子力発電所を建設してきたのです。危機に対する対処方法を想定してきたのですが、いわゆる想定外のことが起こったのです。自然を支配できる、統率することが出来るという妄想を捨て去らなければなりません。
 その上で、主なる神さまは、私たちが主なる神さまの御前に立ち帰り、主なる神さまを礼拝し、主の御言葉に聞き従うことを求めておられるのです。最初にも語りましたが、主なる神さまは、私たちを愛して下さっており、ここにいるひとり一人が救われ、神の国である天国に迎え入れられることを願っておられます。だからこそ、今回の震災も、最後の審判ではなく、規模は大きくとも部分的な災害に留まったのです。
 私たちが自分たちで何でも出来ると思っている技術、才能は、すべて主なる神さまが恵みの内に、私たちにお与え下さった賜物です。私たちは、これらの技術や才能を、主なる神さまを畏れ敬いつつ、感謝して用いることが求められています。自分で出来るというおごり高ぶりではなく、自分にはすべてを完璧に行うことが出来ないけれども、主なる神さまが共にいて下さり、助けて下さるとの信仰を持って、備えつつ、用いていく必要があります。
 神さまは、私たちを愛しておられ、私たちが神さまに立ち帰り、神さまに従って生きるために、心を痛めつつ大きな災いを起こされたことを理解し、受け入れて頂きたいと願います。

                                           (20115.22)


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